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夕方からNU建築フォーラムを聴講する。今回でNU建築フォーラムも25回目を迎えるらしい。今回の講師は渡辺誠でボスがモデレーター。なんでこのふたりなのか?とY研の某一派ではうわさになっていたけれど、冒頭挨拶で「ふたりは戦友だった」と大江戸線の開発をめぐってのエピソードが語られ、ふたりの意外な関係が明らかになり、一同納得する。
講演会は、ボスの建築のもつ「論理を越えたところにある美しさ」を引き合いに出し、その価値を認めながらも、自分は違ったアプローチで「枠組みを越えた」建築をつくり出したいとはじまった。建築は「条件に対する解答」や「イメージ」「文脈」などさまざまな要素を整理/編集/構築して、コンセプト(ことば)やかたちを生み出していく一連の流れに価値があるが、そのような従来の方法では初期条件という枠組みを越えることはできない。あくまでA→Bでしかない。Aというものを揺るがすことはできないのか?あるいは、そこで発生するさまざまな要素の取捨選択や単純化にすごく違和感がある。と渡辺誠は淡々と述べていく。アーティストは自分のやりたいことを「表現」すればとりあえず事足りるが、建築家は「条件の解答」という債務を果たさなければならない。なので、ピーター・クックのKunsthaus Grazで会場構成とアート出展を両方担当した仕事では、異なったふたつの性格が必要だったという。会場構成では「リボン」と呼ばれる構造体で、いかにトップライトやトラベーターという前提条件を整理しながら、おのおのの場所をゆるやかに差異化していくかを考えたのに対し、アートを出展するアーティストの立場からは、ただひたすら「ファイバーウェーブ」を用いて原理の視覚化に務めていった。渡辺誠は何度も「条件」ということばを繰り返し用いながら、さらに根源的な建築の制約「重力」「土地」を確信し、それらからは逃れられないことを強調する。ミニマリズムに代表されるように、近代ではその制約を最小限?までそぎ落とし、美しさを獲得していった。そこでは合理化という思考があったことに疑いはないが、それはあくまで最大公約数的発想に過ぎず、単なるレトリックではなかったのか?例えば構造に関していえば、必要なところに必要なだけの部材を配していくことが本当の合理化ではないのか?そこで渡辺誠はアルゴリズムについて語りだす。なぜアルゴリズムがよいのか。それは条件→構造高適化(最適化ではない)→実物化というように、「複雑多様なものに合理を用いる」「複雑なものを複雑なまま解く」ことができるからだという。そのアルゴリズム(プログラム)を用いた「地下鉄飯田橋駅」や「太陽神の都市」「新水俣門」での仕事を説明しながら、人間のことばやイメージを越えたところにある新しさの可能性を述べていく。意外だったのは、講演会の最後に見せた「上海住宅」で、そこでは普通の設計のプロセスをたどって建築がつくられていたことだ。とにかく一筋縄ではいかないということだろうか。 圧倒的なプレゼン終了後、ボスと渡辺誠の対談が始まる。ボスの「聞いてなかった」発言により、さらに詳しいレクチャーが行われる。メモを取ってなかったので、ぼくの強引なまとめ方だけれど、つまりは近代は「単一」「反復」だったが、これからは「単独」「複合」ということなのだろうか。また、ボスと渡辺誠はアウトプットは違えど、目指すべきところは以外と近いのではという結論だった。対談後、会場からの質問の時間になる。印象的だったのはふたつあって、ひとつは「アルゴリズムを用いても、最終的に建築家はひとつの解答をそこから判断し、その判断に責任を持たなければならないが、それについてはどうなのだろうか?」という質問に対し、「プログラムは『よいもの』を定義しないとゴールまでたどり着けない。『よいもの』を定義するのはやはり建築家で、かたちを選ぶにしろ何にしろ、最終的に判断を下すのも建築家。『よいもの』『善なるもの』というのは定義できないし、個人の判断によってしまう。それがよいのか悪いのかはわからない。ただ、現在は『よいものを定義しないでよいものを生み出す』。人とコンピューターの対話により、『善なるもの』そのものではなく、『よさ?』を生み出していくことを考えている」というやり取り。もうひとつは質問内容は細かく覚えていないけれどスタディの内容についてで、「スタディで模型は一切つくらない。住宅は別だったけれど。スケッチとCGのみでスタディしている。未だ手によるスケッチを越えるアプリケーションはなく、完全に能力不足だろう。」というものだった。 フォーラム終了後、カフェテリアで懇親会があったが、周りの友人の反応は賛否両論。「賛同できる部分とできない部分がよくわからず混在している」状況だった。ぼくもそんな感じだった。ただ、賛同できる部分とできない部分両方を整理し、展開していければ、両方ともに可能性があるような気がする。今回のNU建築フォーラムは物議をかもし出したという点で、おおいに意味のある会だったと思う。ブログに書いた内容は、あくまでぼくのフィルターを通して省略/単純化されているのでご容赦ください。せっかくいい講演会を毎回催しているのだから、学校側もどんどんテキスト化していくべきではないかと思ったが、どうだろうか。
by tzib
| 2005-06-22 23:01
| architecture
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