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アスプルンド展/東京タワー
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午後から汐留ミュージアムへ。グンナール・アスプルンド展の鑑賞と、そのシンポジウムを聴きに行く。シンポジウムは「アスプルンドの意味するもの」というテーマで、桐原武志氏の司会進行をもとに、内藤廣、吉村行雄、川島洋一の三氏が講演とディスカッションを行う構成だった。会場はほぼ満席で、聴講者の年齢層はかなり高め。

講演のトップバッターは吉村氏。講演のタイトルは「写真が解き明かすアスプルンドの魅力」で、北欧特有の斜めの光に映し出されるアスプルンドの建築を、建築写真家の立場から丁寧に説明していた。

アスプルンド建築には、直接・間接光のバランスや陰影へのバランスの鋭さなど、シャープで繊細な表情が特徴として挙げられ、デザインは合理的でありながらも情緒的な側面が強く、それがやわらかさなどを生み出す心理的要因につながっているという。また、「3°〜8°」(ヴォリューム間のずれ)、「◯&□」(2つの幾何学)、「Detail Parts」(つくり込まれたディテール)、「不揃いの…」(非対称性)、「意外性」(おどろき、ユーモアトリック)というキーワードをもとに、各作品群を美しい写真を用いながら説明していた。

川島氏の講演タイトルは「未完の物語」で、建築史家の立場からのアスプルンド論。

アスプルンドの面白さは、ナショナル・ロマンティシズムとモダニズムを股にかけた二面性にある。モダニズムは、そのデザインがしばしば「機械」に例えられるように、合理的で即物的な側面が非常に強く、「死」などの精神的なテーマがデザインの問題として語られることは少ない。だが、アスプルンドはその半生を墓地の設計に費やしたように、「生の中の死」、「メメント・モリ」、また、「建築で人生を表現できるか?」ということに真っ正面から取り組んだ数少ない建築家で、合理的でありながらも北欧の自然や歴史に根ざしたデザインを用いている。その彼の本質を端的に表しているのが、「森の墓地」内の広場にあるオベリスクに刻まれた、「今日はあなた、明日は私」という碑文や、敷地内を貫く400メートルの石畳である。人間は死すべき存在であるというメッセージ。人々は長い道を歩いていく間に故人を受け入れ、自分も刻々と死に向かって進んでいることを直感的に悟らせる空間体感。アスプルンドの死生観は、キリスト教のそれではなく、そもそも無神論者であり、自然を聖なるものと考える「ピュハ・ティラ」というスウェーデン文化に基づいている。森から生まれ、森へと帰っていく。深い森へと続く400メートルの長い道のりは、鎮魂の道のりでもあり、回帰、そして再生への道のりでもある。

また、同時代のコルビジェなどが多くのことばを使って建築を表現していたのに対し、アスプルンドは著作などをほとんど残さなかったことも強調していた。アスプルンドは、あくまで室内体験という建築独自の可能性を追求した建築家であったのだ。

アスプルンド建築のシンプルさは、ギリシャ神殿などの古典的な建築をデフォルメしたものであり、歴史を否定するのではなく、あくまで肯定しながら向き合い、時代やその風土に即すように変化させていった結果の姿であるという。川島氏はその様子を個体発生の度に系統発生を繰り返す反復説のようだと評し、アスプルンドの建築は「遺伝子建築」であると結んで講演は終わった。

内藤氏の講演テーマは「物質が精神を宿すとき」。ものをつくる建築家の視点からの講演だった。講演は「森の墓地」の大ファンであるという内藤氏の告白から始まった。

今の建築には精神性がなく、商業国家としての日本では「死の概念」(時間概念)が意図的に排除されている。「森の墓地」に魅力を感じるのは、日本の社会が失い続けたモノを持っているからである。商業国家としての精神性がいちばん表現されている建築は「六本木ヒルズ」で、現代の困難さは「神なき時代の精神性をどこに求めるか?」ということであり、神がいた時代に神が果たしてきた役割をどう果たすのか、また、我々が生と死と向き合うときにどうモノをつくるのかということである。

また、スウェーデン特有の墓誌墓標のない匿名性の共同墓地「ミンネスルンド」と日本の墓地制度を比較し、スウェーデンは人間の死生観と制度が結びついているのに対し、現在の日本ではそれが断絶関係にあると述べていた。人間が最後に物質へと還元していく場所/空間が現状のままでいいのか。そもそも人間の尊厳とは何なのか。ないがしろにされたままでいいのか。グローバリゼーションは人間の尊厳を保障などしない。今ここで我々がなすべきことは、個人と世界の関係性を取り戻すことではないのか。内にこみ上げる猛りを押さえるように、冷静に言葉を運んでいる様子がとても印象的だった。

ディスカッションは意見がぶつかるというようなことはなく、各講師それぞれのアスプルンドへの想いをとつとつと語るような内容だった。

吉村氏はアスプルンド建築の視覚だけではなく五感に訴えてくる居心地の良さを繰り返し発言し、それはことばでは説明できないものであり、写真でもそれを伝えることはできないのかもしれないと述べていたのが興味深かった。そこにアスプルンドのすごさがある。建築写真家が言うと実に説得力があることばだった。また、それにはディテールのつくり込みも関連しているかもしれないとも述べていた。

川島氏は、モダニストたちが「かたち」をつくることが目的になっていたのに対し、アスプルンドはそれとの距離感をはかりながら、最終的にモダニズム的な造形に至っている。もしかしたら、アスプルンドこそ真のモダニストだったのではと指摘していた。

内藤氏は、日本語には豪雨、時雨、霧雨など「雨」にまつわるたくさんのことばがあるように、日本人は本来、場所に対してのセンシティブな感覚を持っていたはず。スウェーデンは厳しい自然で、それと向きざるを得ないからあのような建築がでてきた。日本は豊かな自然に恵まれているのだし、それを我々の身体に合うようにデザインしていくことは十分に可能なはずである。現代の建築設計に携わるものは、大いに反省すべきだと述べていた。

講演は満場の拍手で幕を閉じ、その後、シンポジウムの言葉を反芻するように展覧会を鑑賞する。頭の中では、内藤氏の「グローバリゼーションは人間の尊厳を保障しない」ということばがやけにこびりついて離れないでいた。意味のない思考かもしれないが、アスプルンドが現代の日本に墓地を設計するならどのような場所/空間をつくるのだろう。都市における墓地。修士設計で取り組んでみるのもおもしろいかもしれない。

観賞後は夕飯を食べ、最近何かと話題にのぼる東京タワーへ。シティライトをじっくり堪能する。この美しさも、やはりことばでは説明できないものだと思った。
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by tzib | 2006-03-18 23:18 | architecture
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