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空間の経験—身体から都市へ
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空間の経験—身体から都市へ』を読了。「人間にとって空間とは何か?それはどんな経験なのだろうか?また我々は場所にどのような特別の意味を与え、どのようにして空間と場所を組織だてていくのだろうか?幼児の身体から建築・都市にいたる空間の諸相を経験というキータームによって一貫して探究した本書は、空間と場所を考えるための必読図書である(『BOOK』データベースより)。」

イーフー・トゥアンは、空間(space)と場所(place)を「場所すなわち安全性であり、空間すなわち自由性である。つまり、われわれは場所に対しては愛着をもち、空間には憧れを抱いている」と説明する。全体的に難解でもう一度じっくりと読み返す必要があるが、今後のために印象的だった箇所をいくつか抜き出しておきたい。

論理的に考えれば、宇宙の中心は一つしかないはずである。しかし神話的思考では、宇宙は数多くの中心をもつことができる(ただし、そのうちの一つが他のすべての上に立つということはある)。論理的に考えれば、全体というものは部分が集まってできており、部分部分は独自の位置、構造、機能をもっている。部分は全体が機能を果たすうえで不可欠なものであるかもしれないが、しかし、部分とは全体のミニアチュアではないし、全体と等しい本質をもつものでもない。だが、神話的思考では、部分は全体を象徴し、全体がもつ力をすべてもつことができる。(p.179)

うっそうとした森林という環境では、距離はどのような意味をもつのだろうか。(中略)多雨林で生活する人びとにとっては、空間とは複数の場所がつくる目の細かな網のようなものであって、そこには全体を包括する構造は存在しないのである。同じことは、時間についてもいうことができる。(中略)時間は知覚された距離と同様に浅く奥行のないものであって、ピグミー族は、過去の系図にも未来にもあまり関心を示さないのである。(p.212)

距離は、客観的な領域に属している。ホピ族は、距離から時間を抽出することはしない。したがって、かれらにとっては同時性の問題は実在しない。(中略)距離は客観的な領域に属しているのであるが、このように、完全に客観的な領域に属しているわけではない。客観的な水平面は、観察者から遥か遠くへ延びていき、ついには、もはや細部を知ることのできなくなるところへ到達する。そこは、客観的な領域と主観的な領域が接する境界であって、比喩的な言い方をすれば、時間を超えた過去であり、神話のなかで語られる国なのである。(p.214)

また、巻末のオギュスタン・ベルクによる日本語版解説は、本書の歴史的位置づけを明らかにしているという意味で、大変興味深かった。その中で語られている「今日の我々」とは、まさしく2000年代のぼくたちのことを指し示しているのではないだろうか?

そういう両義性に迷わされないように、我々は、本書が書かれた1970年代半ばの情況を思い起こす必要がある。それは、建築や環境整備論において、近代主義に代ってポスト・モダンの台頭の時期であった。トゥアンの問題提起に翻訳すると、それはspace主義への反撥、place主義の台頭という転換期であった。いうまでもなく、均衡のとれた生活環境には空間(自由)も、場所(安全)も必要である。人間の環境には、楽園への回帰願望を叶える面も欠かせないし、逆に理想郷への道を拓く面も欠かせない。後者をもっぱら押し付けようとした近代主義に反応して、本書が前者に比重を与えたことには歴史的な当然生がある。(中略)同時に、無味乾燥な環境を産んでしまったspace主義は今日でも終焉下とはいい難いが、"place"だけを唱えると、近代都市計画が陥ったのとは対称的な行き詰まりが待っていることも、今日の我々は知っているのだ。(p.410)

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by tzib | 2006-09-20 23:20 | resource
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