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テアトロ・スーパースタジオ
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すっかり更新を怠ってしまい、当ブログの存在を危うく忘れてしまうところでした。ええと、ちゃんと生きています。記憶の重箱をつつきながら、現実時間に追いつけるよう何とかがんばります。おー。

11月10日、「『テアトロ・スーパースタジオ』クリスティアーノ・トラルド・ディ・フランシア氏講演会」を聴講しに行く。フランシア氏は、アーキグラムメタボリズムと肩を並べる60年代に大暴れしたイタリアの建築家集団「スーパースタジオ」の親玉である。スーパースタジオに関しての事前知識に乏しかったので、どんなぶっ飛んだおっさんが出てくるのかと身構えていたのだけど、フランシア氏はこちらのそんな拙い思惑など一蹴するかのように颯爽と会場へ姿を現した。フランシア氏は、おっさんはおっさんだったけどおっさん違いというのか、LEON的空気を地で身に纏うこれぞイタリア男子という粋なおっさんだった。今まで何人か海外の建築家を見る機会があったけれど、フランシア氏の優雅さは群を抜いてダントツで、女の子に向かってウインクのサービスをかます心憎い余裕っぷりなども見せつけてくれた。でも、そこにはいやらしさを感じさせるものなど微塵の欠片もなく、氏のさりげない行動や発言の節々には身体的センスの良さが醸し出す一種独特な雰囲気が漂っていて、誰もが何となく好感を持ってしまうような不思議な魅力にあふれていた。ううむ、これが「気品」というものなのだろうか。

渡邊千紗の不思議なかわいさをもつオープニング映像のあとに、フランシア氏の講演が始まる。内容は、1966年のフィレンツェでの学生生活から1973年までのスーパースタジオの活動を一挙に紹介するというもの。「学生時には、フィレンツェの古典と反古典が同在するという矛盾した状況に強く影響を受けた。また、66年のアルノ川氾濫を目撃したことで、都市と自然が相反している状況にひどく違和感を覚えるようになり、『すべてが建築である』から『すべてが景観である』という大きな思想転換が起きた。『内部と外部を継続化させて一体化させる』というのちの活動の根幹となる考え方は、このときに生まれた」とここまで一気に語り尽くす。続いて、《コンティニュアス・モニュメント》や《12の理想都市》などのスーパースタジオの活動を丁寧に解説していく(詳しい内容はリンク先参照)。プロジェクターに次々に映し出されていくドローイングは圧倒的に美しく、終始目を奪われ続けてしまった。とくに、ホワイトキューブが都市を覆っていく《12の理想都市》は衝撃的。今の時代に見てもこれだけの力があるのだから、発表当時の衝撃といえば想像を絶するものだろう。ハイパーサーフィスと化した地球とネットワークのジャンクションと化した都市ー今まさに現実がその姿をトレースし始めている状況ーを30年も前に言い当てた想像力は、筆舌に尽くしがたい。フランシア氏は、他にもここでは伝えきれないほどの刺激を会場に与え続け、茫然自失と化している観衆ににんまりと微笑みかけながら、「われわれの理念は伊東に引き継がれている」と残して、ひとまず講演の幕を降ろした。

伊東豊雄は、近作と《emerjing grid》についての解説。《emerjing grid》はミースの《均質空間》の対比ではなく、あくまでその延長にあると語る。

続く、五十嵐太郎の司会による両者の対談では、スーパースタジオの活動の検証、1941年生まれのふたりから見た60年代と現代の建築の流れ、グリッド/幾何学を巡ったなどを中心に議論が交わされた。伊東は、磯崎新の『建築の解体』にならってスーパースタジオを「状況主義」と位置づけ、アーキグラムやアーキズームがテクノロジーを信奉していたのに対して、テクノロジーがつくりだす未来を信じていなかった点に2つのグループとの差異があったと述べ、未来社会は物質性から逸脱して情報社会になっていくという指摘は先見的で、ものすごく共感を覚えていたと告白する。議論の中で、両者ともに情報社会の先ではもはや建築は不必要になる、極論を言えば「建築」をつくりたくないと語っていたのが印象的だった。

白熱して会場質問の時間が取れないほど議論は長引き、むりやり強制終了するようなかたちで講演会は終了する。ぼくも熱にうなされたかのように頭をぽっぽさせながら会場をあとにし、夕飯を食べて帰宅。
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by tzib | 2006-11-10 23:10 | architecture
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