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テアトロ・スーパースタジオ
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すっかり更新を怠ってしまい、当ブログの存在を危うく忘れてしまうところでした。ええと、ちゃんと生きています。記憶の重箱をつつきながら、現実時間に追いつけるよう何とかがんばります。おー。

11月10日、「『テアトロ・スーパースタジオ』クリスティアーノ・トラルド・ディ・フランシア氏講演会」を聴講しに行く。フランシア氏は、アーキグラムメタボリズムと肩を並べる60年代に大暴れしたイタリアの建築家集団「スーパースタジオ」の親玉である。スーパースタジオに関しての事前知識に乏しかったので、どんなぶっ飛んだおっさんが出てくるのかと身構えていたのだけど、フランシア氏はこちらのそんな拙い思惑など一蹴するかのように颯爽と会場へ姿を現した。フランシア氏は、おっさんはおっさんだったけどおっさん違いというのか、LEON的空気を地で身に纏うこれぞイタリア男子という粋なおっさんだった。今まで何人か海外の建築家を見る機会があったけれど、フランシア氏の優雅さは群を抜いてダントツで、女の子に向かってウインクのサービスをかます心憎い余裕っぷりなども見せつけてくれた。でも、そこにはいやらしさを感じさせるものなど微塵の欠片もなく、氏のさりげない行動や発言の節々には身体的センスの良さが醸し出す一種独特な雰囲気が漂っていて、誰もが何となく好感を持ってしまうような不思議な魅力にあふれていた。ううむ、これが「気品」というものなのだろうか。

渡邊千紗の不思議なかわいさをもつオープニング映像のあとに、フランシア氏の講演が始まる。内容は、1966年のフィレンツェでの学生生活から1973年までのスーパースタジオの活動を一挙に紹介するというもの。「学生時には、フィレンツェの古典と反古典が同在するという矛盾した状況に強く影響を受けた。また、66年のアルノ川氾濫を目撃したことで、都市と自然が相反している状況にひどく違和感を覚えるようになり、『すべてが建築である』から『すべてが景観である』という大きな思想転換が起きた。『内部と外部を継続化させて一体化させる』というのちの活動の根幹となる考え方は、このときに生まれた」とここまで一気に語り尽くす。続いて、《コンティニュアス・モニュメント》や《12の理想都市》などのスーパースタジオの活動を丁寧に解説していく(詳しい内容はリンク先参照)。プロジェクターに次々に映し出されていくドローイングは圧倒的に美しく、終始目を奪われ続けてしまった。とくに、ホワイトキューブが都市を覆っていく《12の理想都市》は衝撃的。今の時代に見てもこれだけの力があるのだから、発表当時の衝撃といえば想像を絶するものだろう。ハイパーサーフィスと化した地球とネットワークのジャンクションと化した都市ー今まさに現実がその姿をトレースし始めている状況ーを30年も前に言い当てた想像力は、筆舌に尽くしがたい。フランシア氏は、他にもここでは伝えきれないほどの刺激を会場に与え続け、茫然自失と化している観衆ににんまりと微笑みかけながら、「われわれの理念は伊東に引き継がれている」と残して、ひとまず講演の幕を降ろした。

伊東豊雄は、近作と《emerjing grid》についての解説。《emerjing grid》はミースの《均質空間》の対比ではなく、あくまでその延長にあると語る。

続く、五十嵐太郎の司会による両者の対談では、スーパースタジオの活動の検証、1941年生まれのふたりから見た60年代と現代の建築の流れ、グリッド/幾何学を巡ったなどを中心に議論が交わされた。伊東は、磯崎新の『建築の解体』にならってスーパースタジオを「状況主義」と位置づけ、アーキグラムやアーキズームがテクノロジーを信奉していたのに対して、テクノロジーがつくりだす未来を信じていなかった点に2つのグループとの差異があったと述べ、未来社会は物質性から逸脱して情報社会になっていくという指摘は先見的で、ものすごく共感を覚えていたと告白する。議論の中で、両者ともに情報社会の先ではもはや建築は不必要になる、極論を言えば「建築」をつくりたくないと語っていたのが印象的だった。

白熱して会場質問の時間が取れないほど議論は長引き、むりやり強制終了するようなかたちで講演会は終了する。ぼくも熱にうなされたかのように頭をぽっぽさせながら会場をあとにし、夕飯を食べて帰宅。
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by tzib | 2006-11-10 23:10 | architecture
国立新美術館
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午後からM2メンバーで「国立新美術館」(設計:黒川紀章)の内覧会に参加する。(美術館についての詳しい解説は、当美術館のサイトを参照)
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うねる曲線の外壁。
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美術館の真向かいに建つ「政策研究大学院大学」。設計はリチャード・ロジャース
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エントランスの三角コーン。
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エントランスロビー01。
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エントランスロビー02。21mの吹抜け。
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エントランスロビー03。
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ガラスのファサード。
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2Fホワイエ。
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展示室入口。
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展示室01。完全なるホワイト・キューブ。ここまで徹底していると、もはや小気味よい。
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展示室02。展示室は巨大で、コンテナ状に積まれている。
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展示室天井。このすきまにパーティションのレールが隠されている。
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外壁に並べられたセブンチェア。みな外部空間に背を向けて座らされているけど、この配置にはすごく違和感を覚える。空間の形式を先験的に設定した結果、ということなのかはよくわからないが、この状況はこの美術館の抱えるさまざまな問題を具体的に表していると思う。
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とにかく巨大な美術館ということだけが印象に残った。これからの企画展の内容いかんによってこの美術館の評価は決まるのだろうけど、展示がない状態では、心が揺さぶられるような感動はとくになかった。プログラムが巨大すぎるからなのか国立だからなのか、どうも管理側の視点が見え隠れし過ぎているような気がして仕方ない。個人的には、フラットな屋根、エントランス空間とホワイエ空間のつなぎ目などが、のどに刺さった魚の小骨のようにすごく気になった。東大生産研の保存の在り方も、ほとんどアリバイづくりにしか見えないのが残念。他にもいろいろ言いたいことはあるけど、とりあえずオープンしてからまた来ようと思う。
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by tzib | 2006-10-26 23:26 | architecture
CAt講演会
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修士設計の合間をぬって建築家フォーラムへ。講師はCAtの小嶋一浩&赤松佳珠子で、タイトルは「10年前からの手紙〜打瀬小学校から美浜打瀬小学校へ」。

10年間学校建築に関わってきた中で、「さまざまな価値観が調整することなく共存している空間」を目指していることに変わりはないが、アクティビティのシュミレーションからフルイド・ダイレクションへと、コンピューターの解析能力とともに建築デザインの手法も向上し、複雑な事象も単純さに置き換えることなく複雑なまま解けるようになった。その最たるものがホーチミン建築大学で、熱帯地方でもエアコンがいらないように風の流れをシュミレーションして配置計画を進めていき、その有機的な形態も風の流れを遮らないように必然的に決まっていったという。

目が覚めるような発言を一言も漏らさないように耳を傾けながら、教育制度とか機能とかプログラムとか、そういう部分からは少し距離をおいたところで修士設計に取り組んでみようと心を新たにする。
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by tzib | 2006-09-19 23:19 | architecture
石上純也講演会
レモン&イソベと品川で待ち合わせ、夕方からTN プローブ・石上純也講演会を聴きに行く。インタビュアーは五十嵐太郎氏。石上氏には個人の実作がひとつもないのだけど、会場には学生や若い世代を中心に500名以上の人が集まったそうで、その様子は彼に向けられている関心の大きさをそのまま物語っていた。

会場の熱気はむんむんで、まるでちょっとしたライブ・ハウスにいるかのようだった。会場内のボルテージは講演の開始時間が近づくにつれどんどん増していき、石上氏が五十嵐氏に連れられて壇上に現れたときには、もはや爆発寸前までに達していた。もしも、石上氏が開口一番、観客席に向かって拳を突き上げていたなら、会場には割れんばかりの怒号が渦巻いたことだと思う。

講演会は、石上氏の修士設計である「光の研究」からはじまった。これは「本当に透明なものとは?」という研究で、ガラスが持つような「透明度」ではなく、「透明性=なにもないこと」を問題にしていて、光の対流が生み出す光と闇の境界により空間を分節化していくという内容だった(詳しくは『卒業設計で考えたこと。そしていま〈2〉』を参照)。その中で驚いたことは、その透明な境界が鑑賞者の位置によって相対的に変化していくということだった。それは、ひとつの建築の中に無数の異なる空間が同時に存在し、ある秩序(構造?)を形成しているということ。つまり、空間が先験的に存在してそこに観測者の視点が設定されるのではなく、観測者の視点があって空間が存在し、しかもそれは観測者の運動の中において発生していくことを意味している。五十嵐氏の「建築の問題提起・前提条件の在り方が近代と異なっている」という指摘は、まさにその通りである。講演会の冒頭から何か透明なトンカチで後頭部をがつーんと激しくぶたれたような衝撃を受ける。

その後は、厚さ3mmの「レストランのテーブル」や、キリンアート2005に出品した「テーブル」、霧を使って建築の中を風景化するというレクサスのインスタレーションや、そこで用いた発砲スチロールの家具、月島の長屋プロジェクト、つくばスタイルコンペ案、TEPCOコンペ案、ホテルの改修計画、神奈川工科大の工房、Yoji YAMAMOTOのNY店の計画案と続いていく。

講演会の中で印象的だったのは、石上氏が「今わかっていることは」というフレーズを頻繁に用いていたことだった。それは、最初にある目標を設定して設計を進めていくという従来のやり方ではなく、他人はもとより本人でもわからないことをひたすら追い求めていくというボトムアップ的なつくり方を暗にほのめかしている、といえるのではないだろうか。その先に、今までの言語では語ることができないような新たな建築の地平が広がっているのかは、よくわからない。ただ、今回の講演会でひとつわかった確かなことは、石上氏は確かにアート寄りに見えなくもない表現を用いているが、決してアートをつくっているのではなく、あくまで建築をつくろうとしているということだった。石上氏の設計態度は、個人の表現ではなく、あくまで社会に向けられた表現であった。言うまでもなく、そこには決定的な差がある。

もうひとつ印象に残ったのは、神奈川工科大の工房のプランの決定方法をめぐる質疑の中で、石上氏が「フラットバーを配置していく中で方向性はある、発見しつつあるが、それはゴールへの方向性ではない。ゴールを設定してそこに向かっていくつくり方ではない。ループを繰り返してその中で何かを磨き上げていく。ループはループに近づけば近づくほどよい。」という発言をした場面だった。思考のループ化。それはいわゆる「どうどう巡り」と言われて通常はネガティブに捉えられるものだが、石上氏はむしろループ化する方がいいと述べている。思考の時間軸が円環状になったときには一体何が起きるのだろうか。円環状の時間を考えるとき、「流れる今」をイメージすることは無意味になる。初期条件を設定し、線形的に発展していく古典論的な手法は、円環状の時間に対しては修正を余儀なくされてしまう。いわゆる近代的なもののつくり方ではないのだ。それはいったいどういうことなのだろうか?また、単なることばの揚げ足取りに過ぎないのだけど、そのループの外側や内側には何が存在するのか?そのループのモーメントはどこに向かって進行しているのか?あるいは、石上氏が「拠って立つ場所」は一体どこなのか?などなど、さまざまなことが頭の中に浮かんでは消えていった。それは講演会が終わってここに文章を書いている現在においても、答えは見つかっていない。
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by tzib | 2006-08-31 23:31 | architecture
南米の都市再生の現場から
夕方から、TN プローブ・サロン「南米の都市再生の現場から 〜手法論の差異と類似」を聴講する。講師はコロンビアの建築家、フェリペ・ロンドーニョ氏と内藤廣氏で、モデレーターは太田浩史氏。内容は、「ロンドーニョ氏によるコロンビアの都市再生手法の紹介。また、氏が関わってきた地域計画を事例に、建築家に求められている多様な領域の横断と積極的な社会参加について考え、日本とコロンビアの都市再生における差異と類似などを明らかにしていく」というもの。

まずは、ロンドーニョ氏によるコロンビアの都市再生手法の説明から。氏は、美しいスライドを用いながら、コロンビアの地理、歴史、人口動態、政治、経済など、都市を取り巻く状況とそこでの再生手法を包括的に、ときには叙情的に、また、コロンビアについて何も知らないぼくのような学生にも理解できるように、ゆっくり、かつ、丁寧に説明してくれた。とくに印象的だったのは、交通と教育政策による都市再生手法の部分で、交通政策手法では、2000年より導入された「トランスミレニオ」というBRT(Bus Rapid Transit)システムやメトロケーブル、自転車専用道「サイクル・パス」の設置へと至るプロセス、教育政策手法では、図書館建設による地域のコミュニティ形成プロセスが、「人々の『多様な領域の横断と積極的な社会参加』によって都市が再生されていく」、という点で大変勉強になった。

内藤氏の講演は、「コロンビア、メディジン市における公園図書館の建設」というテーマで、「東京大学COEプログラムの一環として研究室で取り組んでいるメディジンにおける図書館設計のプロジェクトを紹介し、コミュニティ形成における建築家の役割について」語ってくれた。2つの大通りに挟まれた敷地に「緑・水・まち」という3つの広場を設け、これらをつなげる場としての「公園図書館」をつくり、周辺を巻き込みながら教育を中心に地域コミュニティをつくっていく。四季がなく、外気温度が平均27℃という中での建築と外部環境の在り方。コンクリートブロックというコロンビアでポピュラーな素材を、多様なつかい方ができるように試みていく技術開発の苦労話など、まるで日本とは異なる環境の中での詳細な体験談は、会場を興奮の渦に巻き込んでいった。

後半の3者によるディスカッションは、ロンドーニョ氏の講演を受け、太田氏が「日本における設計行為は、目の前にいる誰かのために行われるが、コロンビアにおける設計行為は、社会の未来に対して希望を提供するために何ができるかということを指すように感じた。コロンビアの建築家は、社会参加に対する強い意志を持っているが、それはそういう教育を受けているためであり、状況への観察・分析力や、ヴィジョンを提示する強い力を持っている。また、社会がそれを求めている」と発言し、内藤氏が「なぜ日本ではそのようにできないか。それは、日本が商業国家になってしまったからだ。現在の日本における建築は、植木鉢に植わっている観葉植物になってしまっている。サロン化している教育制度や建築界という『敷地』から抜け出すべきだ」と発言する場面が印象的だった。



社会参加とは、多様な領域を横断する能力を持ってできる行為なのか、あるいは、多様な領域を横断できるような土壌があってはじめてできる行為なのかはよくわからないが、内藤氏の「『敷地』から抜け出すべきだ」という発言には、何か強く揺さぶられる力があった。ぼくたちのような世代は、というかぼくの場合は、今後の社会の中で、自分の状況を相対化し、「意志」を自発的に養っていくことが、絶対的に必要なのだろう。そうしなければ、もはや立枯れていくという選択肢しか、実質的には残されていないのかもしれない。
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by tzib | 2006-07-27 23:27 | architecture
平田晃久「空のかたち」講演会
夕方から船橋の大久保へ。NS大の授業の一貫で企画された、平田晃久さんの講演会を聴きにいく。レモンと今回の企画に誘ってくれたSくんたちと講堂で合流。開催時間にぎりぎり間に合う。

講演会のテーマは「空のかたち」。まずは、平田さん自身による自己紹介。平田さんは、大学時代、バブル崩壊や阪神大震災、オウム事件など、人々が内面に向かっていくような時代を経験し、ポストモダン→デコン→ライトコンストラクションなどの目まぐるしいようなスタイルの変遷を目の当たりにする。そのような不透明な時代の中で「本質的な何か」に取り組みたいと渇望していた最中、95年の「メディア・テーク・コンペ」の伊東豊雄案に出会う。伊東案の造形的に見えるがそれが主題ではないような建築の鮮やかさに何か新しい可能性を感じ、それが生まれるプロセスを体験したいということから伊東事務所を希望し、入所。そして伊東事務所で8年間を過ごし、現在の独立までに至ったと説明してくれた。

自己紹介のあと、「空のような建築をつくりたい」という発言からレクチャーが開始。「空」とは、自分自身の生成原理をもち、人の活動と無関係に存在している。1:1ではなく何となく関係しているような、あるいは、A'、A''、A'''…というような関係性をもつような空間をつくりたい。「空」=〔sora/ku/kara〕とあるが、建築は、「空」=〔kara〕の状態を目指しているのではないか。ライプニッツの「空間とは同時存在の秩序である」ということばを引用しながら、仁徳天皇陵、ミケランジェロのラウレンツィアーナ図書館、キャベツの断面図、森の断面図などの紹介。「無関係の建築」、「A'、A''、A'''…」、「派生・支配」、「インクルーシブ」、「立体的(対角線的)」、「見通せない拡がり」、「聴覚的」、「動物的」、「同時存在の秩序」というキーワードの紹介。などなど。

建築背後にある理念の説明のあとは、それらをふまえた上で、伊東事務所時代に担当した作品や自作の紹介。平田さんは各作品を紹介しながら、「モノをつくる前にスペースのイメージがある。それを伝えるために、キャベツの断面図などを用いている。そういうような原理はいたるところでつながっている。深層構造を空間化し、ある秩序の在り方を生み出すようなことを模索している」と説明を加え、レクチャーは終了する。

レクチャー終了後、会場には得体のしれないような興奮が満ちあふれていた。いつまでも拍手とざわめきがやむことはない。空調は効いているはずなのに、普段よりも体温が1度高い。微熱のときのような、軽いめまいと脱力感がからだを支配している。だが、頭は今までにないくらいクリアに冷めている。会場の誰もが感じていたように、ぼくも目の前に現れた今まで見たことがない「新しい何か」に心を捕われてしまっていた。今日のレクチャーに関してうまくことばで伝えることはできないが、わずか2時間という時間に目にした情報は、おそらく「時代の切れ目」とでもいうのだろうか、圧倒的なエネルギーを秘めている情報だった。今日ここに居合わせた人間は幸福だった、とは言い過ぎかもしれないが、おそらくそれは、今後時間が証明してくれることだと思う。時代は間違いなく動いている。
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by tzib | 2006-07-05 23:05 | architecture
06/28 - 07/04
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06/28 修士制作の敷地見学で北品川地区へ。敷地が武蔵野大地の東端部分であることを確かめる。崖地や公園、小学校と中学校など、めぼしい場所の写真撮影をし、見学後は目黒川沿いをお散歩。その足で、品川区役所へ向かい、資料を手に入れたあとは大岡山へ。東工大の卒制&修正制作展を30分ほど見学する。あいかわらずパースの迫力がすごい。

06/30 午後から修士ゼミ。前回は1RTKOだったが、今回はGOサインをゲット。

07/01-04 泊まり込みで空家プロジェクトの模型に取り組む。8割型終了。ネットのニュースで中田の引退を知る。
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by tzib | 2006-07-04 23:04 | architecture
「美術と建築のあいだ」シンポジウム
午後から「美術と建築のあいだ」シンポジウムを聴きにいく。パネリストは五十嵐太郎、暮沢剛巳、彦坂尚嘉、南泰裕の4氏。

トップバッターは五十嵐太郎氏。五十嵐氏は建築→美術の視点で、<共同>、<造形>、<現象>、<自作>という4つのキーワードをもとにレクチャーを進行。<共同>では、磯崎新と荒川修作、谷口吉生とダニエル・ビュレンなどの関係を論じながら、米田明の『ポストミニマリズムが現代建築に示唆するもの』(建築文化94年4月号)を引き合いに出し、美術と建築の関係を分析。<造形>では、現代美術から造形的な影響を受けたと思われるアルド・ロッシ、ドミニク・ペロー、ゲーリー、コープ・ ヒンメンブラウなどの作品を紹介。<現象>では、<造形>と同じように現象的な部分で影響を受けた作品の紹介。「光と色」では、ジェームズ・タレルと妹島和世「梅林の家」&バラガン、「オプアート的な視覚世界」では、ブリジット・ライリーと青木淳、「視覚的なパビリオン」では、ダン・グレアムと妹島和世「鬼石多目的ホール」。<自作>で、アート的な要素が多い作品を紹介。東京に現存する建築以下・家具以上の建物を紹介したアトリエ・ワン『ペット・アーキテクチャー』、「リムジン屋台」、中村政人の「セキスイハイムM1」など。最後に<異なること>というキーワードで、展覧会、美術館批判、アルマジロ人間の問題などに触れるが、時間切れであえなく終了。

代わって南泰裕氏のレクチャーがはじまる。南氏は、美術と建築という問題をずらし、補助線を引くという意味を込めて「2次元と3次元のあいだ」というタイトルでロシア構成主義の話題を中心にレクチャーを進行。抽象化の行きつく先には何が残るのか、アートが純粋・自律的なのに対し、建築は社会的な産物であり、コントロールできないものを含む存在であり、「還元できない」。絵画を絵画たらしめているのは「フラットネス」だが、建築は「立体的」かといえばそうではないだろう、2次元→3次元は跳躍から落胆だが、リベスキンドやザハは逆転しているなど。最後に越後妻有トリエンナーレの「空家プロジェクト」を美術と建築の交差点と紹介し終了。

レクチャー後に彦坂氏から「建築は実現されたものが本流なのか。それともドローイングや理念や思想がそうなのか?」という質問があり、その質問に対し五十嵐氏は「歴史を語る上ではどちらも重要」と答え、南氏は「コンペなどは実現案の裏に膨大な数の案が埋もれている」と答える場面があった。彦坂氏はそれらの答えを受け、「建築は建たないものを膨大につくっている。美術もそうである。美術史的にいえば、つくればいいということではないのだ。膨大につくられるものなど捨てられていく。そこでいう制作とはいったい何なのか。」と発言。

次は彦坂氏のレクチャー。70年代の初期の作品から、現在までの作品を時系列的に紹介。とくに興味深かったのは、部屋中にラテックスをぶちまけ、その乾くと透明になる特性を活かしながら、部屋が徐々に透明化していく様子を表現した作品。時間の変化と床の二重性が視覚化していてとてもエキサイティングだった。

レクチャー終了後は、三者と暮沢剛巳氏を交えた対談が開かれる。とくに盛り上がったのは、建築家の設計した美術館への問題について。アーティストと建築家という、美術館という空間をつかう側とつくる側の生の意見の交換というのは、非常にリアルで興味深いやり取りだった。その中で、南氏の「使いにくい、ということはつくることではじめてわかることだ。建築家は機能を収めることはできるし、その先で勝負しようとしている。一方ばかり攻めるのはフェアじゃない」という意見があったが、まったくその通りだと思った。対談終了後は、そのまま懇親会へ移行。ワインを飲みながら、幾つか顔見知りの方にあいさつし、学校に戻る。
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by tzib | 2006-06-24 23:24 | architecture
植田実の住宅講義
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夕方からNU建築フォーラムに参加。テーマは「植田実の住宅講義 建築家の自邸から住宅史を考える」で、講師は植田実さん。モデレーターは佐藤光彦先生。

まずは光彦先生による植田実の紹介から。植田さんは、1968年に『都市住宅』(鹿島出版会)という伝説までになった建築誌を立ち上げ、1976年まで編集長を務めた建築ジャーナリストで、最近では、『住まい学大系』の編集長や建築批評家としてご活躍されている。2003年にはその功績が再評価され、日本建築学会賞を受賞した。「日本建築大賞2005」の審査員を務めたのも記憶に新しい。

植田さんの講義は、「80〜90年前からの日本の建築家自邸に限定した『住宅史』は、一般的な建築史の文脈とはかなり異なるが、それでも世界的にかなり特異な現象だと思う。」という発言からはじまった。今回の講義で取り上げる建築家はおよそ40人ちかくで、講義はかれらの自邸を時系列で順に追っていくという構成。

まずは、ヴォーリズ、レーモンドなどの自邸などを皮切りに、藤井厚二や吉田五十八など、戦前の建築家の自邸を中心にレクチャーがはじまった。戦前シリーズで印象的だったのは、土浦亀城と山口文象の自邸。

中盤は戦後に時代を移し、イームズやミース、フィリップ・ジョンソンの自邸を取り上げながら、「欧米人は他人の家でもどんどん実験的な試みをするが、自邸はあくまで趣味的だったり、箱庭的な世界観だったりと、大しておもしろくない」、「日本人の自邸は逆にそうではない。なぜなのか?」という批評からはじまる。確かに、広瀬鎌二「SH-1」、増沢洵「最小限住居」、池辺陽「No.17」、清家清「私の家」、吉阪隆正、吉村順三、菊竹清訓「スカイハウス」、東孝光「塔の家」と続く一連の作品群からは、叫びにも似たような何か圧倒的な力を感じた。 それはどの作品が、というわけではなく、これらの作品が直列に並んだときにはじめて感じる力だった。植田さんは「これらの作品は家族がどうあるべきか、あるいは環境とどうあるべきか、さまざまな試みがなされている」と評していたが、もちろんそれもあるだろうけど、ぼくはむしろ、その背後に想像される、かれらを突き動かしていた戦後の得体の知れない時代の力に衝撃を受け、畏怖の念さえ生じてしまった。もしかしたら憧れもあるかもしれないが。

後半は、現代までの作品群。六画鬼丈、原広司、安藤忠雄、鯨井勇、石井修、伊東豊雄、山本理顕…などなど。講演会の最後は、パラディオのヴィラとヴィラ・アドリアーナを挙げ、『市民ケーン』のビー玉を例に挙げながら、「自分の家というバイアスは、建築家に過去・記憶などが働きかけ、そこには住宅の歴史が浮かび上がる」と締めくくり、満場の拍手の中幕を閉じた。
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by tzib | 2006-06-21 23:21 | architecture
見本帖本店
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所用で神田にある「竹尾・見本帖本店」へ。このお店では、「竹尾の常備在庫品のうち350銘柄(3000種類)の紙が色のグラデーション別に一覧でき(HPより)」る。色見本帳がそのまま空間化したようなお店。設計は西沢立衛建築設計事務所

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「透明ガラスによって、外部に開かれた内部空間は白を基調に統一されており、展示されている鮮やかな洋紙がこの白の空間に対するアクセントとなっている。内壁はアクリル製の洋紙棚で敷き詰められ、そのそれぞれにアドレスが与えられていることで、用紙の検索とストックの空間分離が明快になっている。(10+1WEB)より」

2Fは展示・打ち合わせスペースになっていて、木材が多彩に使われた非常におおらかな空間になっている。1Fの抽象的な印象とのコントラストがおもしろい。しかし、学校の近所にこんなお店があったとは…今後はどんどん活用していこう。
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by tzib | 2006-06-19 23:19 | architecture
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