tzib
thoughts on simplicity
Top
Note:
Welcome to my weblog "tzib". This website is written only in Japanese but please take a look around. You can link to this site freely. Please only link to "http://tzib.exblog.jp/"
Thank you. *Have a good day.*
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
カテゴリ
architecture
art/design
resource
orbit
umwelt
タグ
リンク
最新のトラックバック
ちょー気持ちいい!!
from 御座候
ちょおぉぉぉぉwwww
from 聖なる毛
JKのぶっ飛び体験記
from JK
いやはや、本当に俺は素晴..
from ネ申
フェ○○オしたーーーい!!
from MIー子
以前の記事
2008年 07月
2008年 01月
2007年 09月
2007年 04月
2007年 03月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
more...
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
<   2006年 03月 ( 11 )   > この月の画像一覧
お花見1
c0028405_4485174.jpg
午後から新宿御苑にお花見へ。お天気もちょうど良く、桜も人も満開だった。

上野公園や井の頭公園のお花見風景は騒々しくてあまり好きにはなれないが、新宿御苑は敷地が広大なためにいろいろなものが適度に距離をとっているので、騒々しくも静かというか、のんびり風景を楽しむことができる。遠くに見える高層ビルと桜の木とぽっかり空いた空と人々がつくりだす不思議なランドスケープは、新宿御苑ならではのものだ。やはり公園は人々の活気に溢れている方がいい。

歩くのに疲れたらお花を観て、お花に飽きたらぷらぷら歩くなど、閉園時間まで3時間ほど園内を堪能する。出るころには足が棒になってしまったけど、期待していなかった大温室もなかなかの迫力だったし、十分に春を堪能できた。
[PR]
by tzib | 2006-03-31 23:31 | orbit
追いコン
28、29日とサークルの追いコンに参加する。

28日の朝、赤羽駅に集合し、一路鈍行で那須塩原へ向かう。途中、宇都宮駅で下車し、お昼ご飯に餃子を食べる。15時頃旅館に到着し、鬼ごっこなどして遊ぶも、雨が降って来たので仕方なく終了。その後は、雨の中の露天風呂、夕食、飲み会へと続く。雨は夜になると雪に変わっていた。恒例の追いコン飲み会は、相変わらずデンジャラスな内容。今年は本格的なビンゴなど小道具が充実していて、デスソースという、もはや兵器にも近い代物まで登場。幹事のやる気を象徴している小道具だ。祝辞・歓声・怒号・泣声が飛び交う中、追い込む側の人間だったぼくもなぜか追い込まれ、2時過ぎに記憶が飛ぶ。

次の日の朝は雪を見ながら露天風呂でアルコールを抜き、朝食後はそば打ちを体験。打ったそばを昼食代わりに食べ、午後は陶芸体験をする。あくまでレクレーションだったはずが、いつしかみな真剣な顔つきで一心不乱に粘土と格闘する。何というか建築学科の性をかいま見た瞬間だった。ぼくは前から欲しかった餃子用のお皿をつくる。体験終了後は、けんちん汁や焼き芋を堪能し、那須塩原をあとにする。帰りの電車は爆睡。やっぱり追いコンは楽しい行事だと思う。卒業生のHさん、K大臣や、今回来れなかった4年生のみなさん。本当におめでとうございました。
[PR]
by tzib | 2006-03-29 23:29 | orbit
謝恩会
3/21 久々に会ったYKと新橋で飲む。再来年からフランスに行くという衝撃の告白を聞く。

3/23 Y研の修士打ち上げで高田馬場へ。しゃぶしゃぶ食べ放題。これで修士も本当に終わりを告げる。Y社長からの祝辞をもらう。

3/24 今日はゼミがあったので、朝から学校へ。内容は今年度のスケジュール確認で、修士設計の発表は次回に持ち越し。とりあえず、ボスの所信表明で終わった。夜からは空き屋プロジェクトの打ち上げで渋谷に向かう。お酒が大分まわってくると、いつしか建築談義に。宗教と建築の関係をめぐってTさんが暴走していた。二次会はボーリング。今日は調子がよくて、トップになることができた。Tさんは撃沈。

3/25 今日は卒業式と謝恩会。謝恩会には二次会から参加する。場所は広尾。飲み会の最初にボスからの祝辞があった。今年で卒業するM2は1期生なので、感慨深いものがあったのだろう。4年生やM2、そしてTKCと赤門にお祝いの言葉をかけ、頃合いをみて二次会を抜け出し、歩いて恵比寿へ向かう。他の研究室と合流して三次会へ。いままで話せなかったいろいろなM2の人たちと話す。もっと早く話していればと後悔した。みなさん、卒業おめでとうございました。ご活躍を期待しております。結局朝まで飲んで、長い散歩をしたあとに帰宅。
[PR]
by tzib | 2006-03-26 23:26 | orbit
お引っ越し/越後妻有アートトリエンナーレ
お昼から学校へ。今日で院生室を引き上げることになった。

本や資料、模型材料等の荷物をまとめ、机と床をきれいに掃除し、レモンの車で下宿先に向かう。きれいさっぱりになった机を見たら、この1年の思い出がありありとよみがえってきて、少し切ない気分になった。レモンさんありがとうございました。

夜から代官山はヒルサイドへ。越後妻有アートトリエンナーレのプレス発表パーティーに参加する。

開始の時間に遅れてしまったのでスライドショーには間に合わなかったけど、立食パーティも兼ねた懇親会には何とか間に合う。会場はキャパシティを超える人数で、誰がいるのかよくわからない状況だった。立食パーティでは越後妻有の地酒と郷土料理が振る舞われ、舌鼓を打ちながら会場をふらふら歩き回る。MさんやNさんを見かけたのであいさつを交わす。展示場では先週完成した模型がちゃんと展示されていたので一安心。頃合いを見て会場をあとにし、一緒にきたエビちゃんと渋谷の喫茶店でまったりして帰宅。
[PR]
by tzib | 2006-03-20 23:20 | art/design
アスプルンド展/東京タワー
c0028405_285976.jpg
午後から汐留ミュージアムへ。グンナール・アスプルンド展の鑑賞と、そのシンポジウムを聴きに行く。シンポジウムは「アスプルンドの意味するもの」というテーマで、桐原武志氏の司会進行をもとに、内藤廣、吉村行雄、川島洋一の三氏が講演とディスカッションを行う構成だった。会場はほぼ満席で、聴講者の年齢層はかなり高め。

講演のトップバッターは吉村氏。講演のタイトルは「写真が解き明かすアスプルンドの魅力」で、北欧特有の斜めの光に映し出されるアスプルンドの建築を、建築写真家の立場から丁寧に説明していた。

アスプルンド建築には、直接・間接光のバランスや陰影へのバランスの鋭さなど、シャープで繊細な表情が特徴として挙げられ、デザインは合理的でありながらも情緒的な側面が強く、それがやわらかさなどを生み出す心理的要因につながっているという。また、「3°〜8°」(ヴォリューム間のずれ)、「◯&□」(2つの幾何学)、「Detail Parts」(つくり込まれたディテール)、「不揃いの…」(非対称性)、「意外性」(おどろき、ユーモアトリック)というキーワードをもとに、各作品群を美しい写真を用いながら説明していた。

川島氏の講演タイトルは「未完の物語」で、建築史家の立場からのアスプルンド論。

アスプルンドの面白さは、ナショナル・ロマンティシズムとモダニズムを股にかけた二面性にある。モダニズムは、そのデザインがしばしば「機械」に例えられるように、合理的で即物的な側面が非常に強く、「死」などの精神的なテーマがデザインの問題として語られることは少ない。だが、アスプルンドはその半生を墓地の設計に費やしたように、「生の中の死」、「メメント・モリ」、また、「建築で人生を表現できるか?」ということに真っ正面から取り組んだ数少ない建築家で、合理的でありながらも北欧の自然や歴史に根ざしたデザインを用いている。その彼の本質を端的に表しているのが、「森の墓地」内の広場にあるオベリスクに刻まれた、「今日はあなた、明日は私」という碑文や、敷地内を貫く400メートルの石畳である。人間は死すべき存在であるというメッセージ。人々は長い道を歩いていく間に故人を受け入れ、自分も刻々と死に向かって進んでいることを直感的に悟らせる空間体感。アスプルンドの死生観は、キリスト教のそれではなく、そもそも無神論者であり、自然を聖なるものと考える「ピュハ・ティラ」というスウェーデン文化に基づいている。森から生まれ、森へと帰っていく。深い森へと続く400メートルの長い道のりは、鎮魂の道のりでもあり、回帰、そして再生への道のりでもある。

また、同時代のコルビジェなどが多くのことばを使って建築を表現していたのに対し、アスプルンドは著作などをほとんど残さなかったことも強調していた。アスプルンドは、あくまで室内体験という建築独自の可能性を追求した建築家であったのだ。

アスプルンド建築のシンプルさは、ギリシャ神殿などの古典的な建築をデフォルメしたものであり、歴史を否定するのではなく、あくまで肯定しながら向き合い、時代やその風土に即すように変化させていった結果の姿であるという。川島氏はその様子を個体発生の度に系統発生を繰り返す反復説のようだと評し、アスプルンドの建築は「遺伝子建築」であると結んで講演は終わった。

内藤氏の講演テーマは「物質が精神を宿すとき」。ものをつくる建築家の視点からの講演だった。講演は「森の墓地」の大ファンであるという内藤氏の告白から始まった。

今の建築には精神性がなく、商業国家としての日本では「死の概念」(時間概念)が意図的に排除されている。「森の墓地」に魅力を感じるのは、日本の社会が失い続けたモノを持っているからである。商業国家としての精神性がいちばん表現されている建築は「六本木ヒルズ」で、現代の困難さは「神なき時代の精神性をどこに求めるか?」ということであり、神がいた時代に神が果たしてきた役割をどう果たすのか、また、我々が生と死と向き合うときにどうモノをつくるのかということである。

また、スウェーデン特有の墓誌墓標のない匿名性の共同墓地「ミンネスルンド」と日本の墓地制度を比較し、スウェーデンは人間の死生観と制度が結びついているのに対し、現在の日本ではそれが断絶関係にあると述べていた。人間が最後に物質へと還元していく場所/空間が現状のままでいいのか。そもそも人間の尊厳とは何なのか。ないがしろにされたままでいいのか。グローバリゼーションは人間の尊厳を保障などしない。今ここで我々がなすべきことは、個人と世界の関係性を取り戻すことではないのか。内にこみ上げる猛りを押さえるように、冷静に言葉を運んでいる様子がとても印象的だった。

ディスカッションは意見がぶつかるというようなことはなく、各講師それぞれのアスプルンドへの想いをとつとつと語るような内容だった。

吉村氏はアスプルンド建築の視覚だけではなく五感に訴えてくる居心地の良さを繰り返し発言し、それはことばでは説明できないものであり、写真でもそれを伝えることはできないのかもしれないと述べていたのが興味深かった。そこにアスプルンドのすごさがある。建築写真家が言うと実に説得力があることばだった。また、それにはディテールのつくり込みも関連しているかもしれないとも述べていた。

川島氏は、モダニストたちが「かたち」をつくることが目的になっていたのに対し、アスプルンドはそれとの距離感をはかりながら、最終的にモダニズム的な造形に至っている。もしかしたら、アスプルンドこそ真のモダニストだったのではと指摘していた。

内藤氏は、日本語には豪雨、時雨、霧雨など「雨」にまつわるたくさんのことばがあるように、日本人は本来、場所に対してのセンシティブな感覚を持っていたはず。スウェーデンは厳しい自然で、それと向きざるを得ないからあのような建築がでてきた。日本は豊かな自然に恵まれているのだし、それを我々の身体に合うようにデザインしていくことは十分に可能なはずである。現代の建築設計に携わるものは、大いに反省すべきだと述べていた。

講演は満場の拍手で幕を閉じ、その後、シンポジウムの言葉を反芻するように展覧会を鑑賞する。頭の中では、内藤氏の「グローバリゼーションは人間の尊厳を保障しない」ということばがやけにこびりついて離れないでいた。意味のない思考かもしれないが、アスプルンドが現代の日本に墓地を設計するならどのような場所/空間をつくるのだろう。都市における墓地。修士設計で取り組んでみるのもおもしろいかもしれない。

観賞後は夕飯を食べ、最近何かと話題にのぼる東京タワーへ。シティライトをじっくり堪能する。この美しさも、やはりことばでは説明できないものだと思った。
[PR]
by tzib | 2006-03-18 23:18 | architecture
TOKYO GAS ARCHITECT SEMINAR 2006
夕方から津田ホールへ。TOKYO GAS ARCHITECT SEMINAR 2006を聴講する。今回の講師は坂茂氏だった。

10分ほど遅れて会場に入ると、レクチャーはすでに始まっていた。しんとした会場の中をこそこそ隠れながら端っこの席に座り、進行に追いつこうとじっと耳を澄ませる。だが、ふと気になって横の席を見ると、どこかで見たことのある顔がちょこんとあった。ごしごしと目をこすってそっと顔を覗いてみると、そこにはなんとU先生が。あまりにも真剣なまなざしでレクチャーに聴き入っていたので、その場での挨拶は控えておく。ただ、こんな偶然もあるものなのだと思って、少しびっくりした。レクチャーは、住宅→公共建築→紙管シリーズ→仮設シェルター系へと進行。時折ユーモア溢れる冗談が交えられ、会場は終始なごやかな雰囲気に包まれていた。

レクチャーの中で印象的だったのはふたつあって、ひとつはモダニズム、とくにミースについての言及だった。

例えば、一般的にも有名な「壁のない家」についての話がいちばんわかりやすい。坂氏いわく、「壁のない家」は、ミースの「バルセロナパビリオン」を乗り越えることがひとつのテーマで、とくに、壁と柱、ふたつの構造体が存在するという「あいまいさ」に着目し、柱だけでも構造が成立し、壁だけでも成立するという矛盾(?)をどう解消するのか、積極的に取り組んだのだという(もちろん、それが目的的に行われたわけではない)。斜面の土圧を押さえ、横力に耐え、かつ、「バルセロナパビリオン」を超えたニュートラルな空間を実現するために試行錯誤を続けた結果、「床を曲げる」という手法に至る。床でもあり、壁でもある。部品の組み合わせではなく、一体的に解く手法。これはぼくの勝手な解釈だけど、ミースとは違う「あいまいさ」を取り入れることで、「バルセロナパビリオン」を乗り越えようとしたのだろうか。

ここで誤解のないように付け加えておくと、乗り越えると言っても、コールハースが「ミースを尊敬していないが、愛している」というスタンスなのに対し、坂氏は「ミースを尊敬しているからこそ、乗り越える」というスタンスだったし、レクチャーの節々には、そんなニュアンスがたくさん込められていた。

気になったのは、ミースについての発言が、プロポーションの絶妙さやディテールの素晴らしさなど、あくまで建築的な評価だけに限定していて、「なぜ乗り越えようとするのか」については、あえて触れなかったこと。だが、その意図については、ふたつめに印象的だった「マイノリティ」についての発言を咀嚼していくに連れ、少しずつ輪郭が見え始めていく。

ふたつめに印象的だったのは、「グローバリズムが吹き荒れる現在、マイノリティのための建築は無視されている。自分にとって、今後それをつくっていくことが課題である」と言う発言だった。ここでいうマイノリティとは、坂氏の一連の活動を見ればすぐわかるように、経済的弱者ではなく、災害によって家を失った人々のことを指している。

人が家を失った時にどのように対応していくのか。また、彼らに住まいをどのようにして提供すればいいのか。そうした課題に対する答えとして、「紙の家」がある。大量生産は国家にまかせ、個人では個人でできる特殊なことに取り組んでいく。そして、自分にできる解決策は、建築を通じて提案するものである。建築と社会というものをつなげ、社会にフィードバックしていく。

それらを当たり前のように話す坂氏は、すごくかっこいいと思うし、そういうことこそ、建築家本来の役割なのだと思った。目が覚める発言というのは、こういうことを言うのだろう。

レクチャーは満場の拍手で幕を閉じ、ぼくはその後渋谷に向かう。レクチャーの内容はまだよく整理できていないが、いつかまとめられたらと思う。何はともあれ、非常に有意義な時間を過ごすことができた。
[PR]
by tzib | 2006-03-14 23:14 | architecture
お手伝い
今週はずっと渋谷で某事務所のプロジェクトをお手伝い。基本的に模型作業で、古民家の軸組模型をバルサでつくるという作業。実寸から起こした図面を元に制作する流れだったので、いまだかつてない情報量の少なさに、かなり四苦八苦するはめになった。構法の教科書を片手に、いろんな学校のひとたちと議論を交わしながら組み上げていく。完成したときはみんなおおはしゃぎだった。
[PR]
by tzib | 2006-03-14 23:13 | architecture
北仲建築サロン
今日は横浜は馬車道へ。北仲建築サロンを観に行く。

この会の副題は「修士設計ディスカッション2006」で、「多くの建築家やアーティストが活動の拠点としている横浜馬車道を舞台に、学生の設計(修士設計)を素材に建築家と学生が建築や都市に関わるディスカッション」という主旨。今年からはじめて企画されたという。

会は、出品された作品を「住居」「都市」「複合施設」の3つのカテゴリーに分け、各カテゴリーごとに出品された作品数と同じくらいの人数の建築家が集まり、生徒とともにディスカッションを繰り広げるという構成だった。ぼくは、主に「都市」のカテゴリーを聴講する。

建築家たちの発言は、一昨日のAD賞とだぶる内容が多かった。印象的だったのは、修士設計は論文と同じように進めるべきという発言。仮説→結論。その検証作業とどういう手法をとったのかという呈示をしなければならないのに、それをしている作品が少ないということだった。他にも、都市への戦略と、さまざまな上位概念からの位置づけ。問題提起→着地点のとき、その着地点にどれだけ発展性があるのか。できたものが社会にどのような影響を与えるのか検証する。それはモデルをつくって終わりではなく、それを相対的に位置づけしてはじめて意味がある。既視感をもつ作品は評価できない。分離派は「森山邸」を超えないと意味がない。修士設計にはリアリティが必要だが、それは都市や社会にそれが建つ説得力、あるいはヴィジョンを意味し、政治的に正しいということではない。などなど刺激的な意見が多数飛び出す。

ディスカッション後は、各カテゴリーの優秀作品を発表し、全員で懇親会へ。ほろ酔いになったあと、近くのファミレスで長らくTKC、エビちゃん、Mちんと今日の講評会について盛り上がる。
[PR]
by tzib | 2006-03-11 23:11 | architecture
AD2006
今日はAD賞のTAで学校へ。

会場の準備をし、お昼を食べてから公開審査会が始まる。学部のAD賞は、公開審査まで至った作品の傾向が、学内審査とは大きく異なっていたのが印象的だった。審査員一同曰く、完成度よりも、批評性、空間の発展性など、建築そのものの射程というか可能性を重視したという。長い審査の結果、AD賞はMくんが受賞する。

AD賞とは7年前に、当時の非常勤講師陣が学内審査の保守性に対抗するために立ち上げ、とにかく建築バカ、おのれを信じきっている人間を評価するために設立された経緯があるらしい。そもそも評価とは相対的であるということなのだ。その中で、学内賞・AD賞ともに受賞した、Mくんの作品の強度が浮かび上がってくる。

AD+賞の方は、公開審査の舞台に至った作品はほとんど学内審査のとおりだったが、残念ながら該当者は出なかった。

ゲスト審査員の評価は、全体的に作品のレベルの底上げはあるものの、はじめから自分で問題の枠組みを設定して、決してそこから出ようとしていない作品が多かったということだった。クリエイティブとは、その枠組みを超えたところに存在するという。要は小さくまとまるなという苦言だ。今回はTAで客観的に審査を観ていたが、来年はいよいよ自分たちの番。この言葉をよく噛み締めなければならない。

懇親会に参加したあとは、ひさびさに会ったhiroたちと共に、御茶ノ水で朝まで飲む。
[PR]
by tzib | 2006-03-09 23:09 | architecture
前川國男/ARCHITEXTURE/marimekko
c0028405_13451271.gif
午後から東京ステーションギャラリーへ向かい、前川國男建築展を観る。精巧にできた模型と観客の多さが印象的だった。偶然会ったH大のS田くんに聞いたところ、彼らの研究室がこの展覧会のために何点か制作したとのこと。完成までに数ヶ月かかっているらしい。確かに並の完成度ではなかった。

十分に堪能したあと学校でSさんとお会いし、夕方から表参道へ向かう。hhstyleで開催中のARCHITEXTURE展でいろいろな風呂敷を触って楽しんだあと、今日オープンのmarimekko表参道店へ。国内初のオンリーショップというだけあって、充実した品揃えだった。散々迷った末に何も買わなかったけど、とりあえずmarimekkoのかわいさを確認して帰宅する。
[PR]
by tzib | 2006-03-04 13:23 | architecture
ページトップ