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テアトロ・スーパースタジオ
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すっかり更新を怠ってしまい、当ブログの存在を危うく忘れてしまうところでした。ええと、ちゃんと生きています。記憶の重箱をつつきながら、現実時間に追いつけるよう何とかがんばります。おー。

11月10日、「『テアトロ・スーパースタジオ』クリスティアーノ・トラルド・ディ・フランシア氏講演会」を聴講しに行く。フランシア氏は、アーキグラムメタボリズムと肩を並べる60年代に大暴れしたイタリアの建築家集団「スーパースタジオ」の親玉である。スーパースタジオに関しての事前知識に乏しかったので、どんなぶっ飛んだおっさんが出てくるのかと身構えていたのだけど、フランシア氏はこちらのそんな拙い思惑など一蹴するかのように颯爽と会場へ姿を現した。フランシア氏は、おっさんはおっさんだったけどおっさん違いというのか、LEON的空気を地で身に纏うこれぞイタリア男子という粋なおっさんだった。今まで何人か海外の建築家を見る機会があったけれど、フランシア氏の優雅さは群を抜いてダントツで、女の子に向かってウインクのサービスをかます心憎い余裕っぷりなども見せつけてくれた。でも、そこにはいやらしさを感じさせるものなど微塵の欠片もなく、氏のさりげない行動や発言の節々には身体的センスの良さが醸し出す一種独特な雰囲気が漂っていて、誰もが何となく好感を持ってしまうような不思議な魅力にあふれていた。ううむ、これが「気品」というものなのだろうか。

渡邊千紗の不思議なかわいさをもつオープニング映像のあとに、フランシア氏の講演が始まる。内容は、1966年のフィレンツェでの学生生活から1973年までのスーパースタジオの活動を一挙に紹介するというもの。「学生時には、フィレンツェの古典と反古典が同在するという矛盾した状況に強く影響を受けた。また、66年のアルノ川氾濫を目撃したことで、都市と自然が相反している状況にひどく違和感を覚えるようになり、『すべてが建築である』から『すべてが景観である』という大きな思想転換が起きた。『内部と外部を継続化させて一体化させる』というのちの活動の根幹となる考え方は、このときに生まれた」とここまで一気に語り尽くす。続いて、《コンティニュアス・モニュメント》や《12の理想都市》などのスーパースタジオの活動を丁寧に解説していく(詳しい内容はリンク先参照)。プロジェクターに次々に映し出されていくドローイングは圧倒的に美しく、終始目を奪われ続けてしまった。とくに、ホワイトキューブが都市を覆っていく《12の理想都市》は衝撃的。今の時代に見てもこれだけの力があるのだから、発表当時の衝撃といえば想像を絶するものだろう。ハイパーサーフィスと化した地球とネットワークのジャンクションと化した都市ー今まさに現実がその姿をトレースし始めている状況ーを30年も前に言い当てた想像力は、筆舌に尽くしがたい。フランシア氏は、他にもここでは伝えきれないほどの刺激を会場に与え続け、茫然自失と化している観衆ににんまりと微笑みかけながら、「われわれの理念は伊東に引き継がれている」と残して、ひとまず講演の幕を降ろした。

伊東豊雄は、近作と《emerjing grid》についての解説。《emerjing grid》はミースの《均質空間》の対比ではなく、あくまでその延長にあると語る。

続く、五十嵐太郎の司会による両者の対談では、スーパースタジオの活動の検証、1941年生まれのふたりから見た60年代と現代の建築の流れ、グリッド/幾何学を巡ったなどを中心に議論が交わされた。伊東は、磯崎新の『建築の解体』にならってスーパースタジオを「状況主義」と位置づけ、アーキグラムやアーキズームがテクノロジーを信奉していたのに対して、テクノロジーがつくりだす未来を信じていなかった点に2つのグループとの差異があったと述べ、未来社会は物質性から逸脱して情報社会になっていくという指摘は先見的で、ものすごく共感を覚えていたと告白する。議論の中で、両者ともに情報社会の先ではもはや建築は不必要になる、極論を言えば「建築」をつくりたくないと語っていたのが印象的だった。

白熱して会場質問の時間が取れないほど議論は長引き、むりやり強制終了するようなかたちで講演会は終了する。ぼくも熱にうなされたかのように頭をぽっぽさせながら会場をあとにし、夕飯を食べて帰宅。
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by tzib | 2006-11-10 23:10 | architecture
mAAN/TDW/FinlandCafe/吉岡徳仁展など
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朝いちばんからmAAN国際会議2006の午前中のプログラムに参加。安藤忠雄などの講演を聴講。全体的に少し単調だったけど、冒頭に村松さんが語った自律分散・リゾーム型を目指す「同等としてのASIA」構想の話や、カッシアートさんの「現在の我々はモダニズムに対峙できない。なぜなら、それに変わる概念を持ち得ていないからだ」という発言は興味深かった。安藤忠雄の講演は短かくて少々物足りなかったけど、スライドの冒頭に丹下健三が出てきたのは印象的だった。というのも、最近の安藤忠雄は、「2016東京オリンピック」や「新東京タワー」のデザイン監修など国家的なプロジェクトを手がけるまでに至り、最近の動向からは思わず往年の丹下健三を連想してしまうからである。安藤は丹下の亡霊に取り憑かれた、といったら大げさだけど、まるっきり冗談には聞こえない。
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午後からはアークヒルズで開催中のデザイナーズウィーク関連の企画へ。プロのイスを眺めたり、フィンランド・カフェを覗いたりする。
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スウェーデン大使館で開催中のスウェーデン・スタイルは、なかなか面白かった。カラフルで多彩なパターンに覆いつくされた会場は、たしかに楽園といっても過言ではない。スウェーデンに行ったことはないが、この風景はスウェーデンには決して存在しない世界なのだろう。フィンランド・カフェといい、北欧好きにはたまらない企画だ。
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その後はAXISギャラリーに向かい、吉岡徳仁の展覧会「スーパーファイバーレボリューション」を鑑賞する。ひとつひとつの繊維は細くて軽くて透明だけど、それらが集まるとぼんやりと輪郭をつくり出し、わずかにかたちをつくり出していく。でも、それはほんとうに弱くて幽かな存在なので、何かを訴えかけるのではなく、ただそこに存在しているだけなのである。また、ファイバーは光を通すことでさまざまな色に見える性質がある。何色でもあり、何色でもない。なので、鑑賞者によって捉え方はさまざまに異なる。ファイバーは、まさに世界そのものなのだ。うーむ、最近の吉岡徳仁は何か神がかってきたような気がする。とにかく圧倒されてしまう。

おかげですっかりくたびれてしまったので、この先予定していた神宮のデザイナーズ・ウィークは次回に見送ることにする。コールド・ストーン・クリーマリーでアイスを食べてほてった頭をゆっくり冷却し、余韻に浸りながらふわふわと帰宅する。
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by tzib | 2006-11-02 23:02 | art/design
クリスト&ジャンヌ=クロード講演会
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午後から日吉の慶応キャンパスへ。クリスト&ジャンヌ=クロード講演会を聴きに行く。整理券を配る40分前に向かったのだけど、すでに立ち見の券しか残っていなかった。
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講演会は、ひとつひとつの作品を時系列に沿って丁寧に解説していくという構成。ユーモアかつウィットに富んだふたりの掛け合いも絶妙ですごくよかったけど、何といってもスライド画像がどれもため息の出るような美しさで、終始圧倒され続けてしまった。まさに至福のとき。「プロジェクトでいちばん難しいのは許可を得ること。世界中のどんな場所も誰かに属している。」という発言が印象に残る。
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クリスト&ジャンヌ=クロードと聞いてすぐ頭に浮かぶのは、1991年10月にぼくの地元で開催された「アンブレラ展」だ。当時ぼくはまだ小学生で、この展覧会が一体どういうものなのかよくわからなかったけど、両親に連れられて会場?を観て回ったことは、今でもよく覚えている。見知った風景に青い傘がパラパラと立ち並ぶ姿はとても不思議だったが、こどもながらにすごく美しいと思ったものだ。そのときの情景は、今なお忘れられない強烈な記憶として、脳裏にくっきりと焼き付いている。

今になって彼らの作品をよく見直してみても、彼らの作品の美しさや批評性をうまく説明することはできない。彼らの作品は、絵画的だったり彫刻的だったり、ときには建築的だったりして、なかなかうまく捉えることができないからだ(「アンブレラ展」は建築的?)。ただ、どの作品も場所のもつ力場、あるいは幾何学のようなものを顕在化しているとともに、鑑賞者が自分の内部を同時に覗いているような不思議な視点をもたらしてくれるのでは、と思っている。語弊があるかもしれないが、自己を投影する鏡のような空間、あるいは、相対化により環世界の拡張をもたらすきっかけのようなものをつくりだしている、と言ってもいいのかもしれない。とまあいろいろ書いてみたけど、とりあえず責任をもって言えることは、作品を観た人間は誰かに何かを語らずにはいられないということだ。

ふたりは「プロジェクトを持続していくのに必要なのは、アートに対する愛情とお互いへの愛情」、また、「アートは楽しむものだ」と語っていた。今の世界には彼らのような人間こそ必要なのではないだろうか。講演会は盛況のまま終了し、いつまでも拍手が鳴り止むことはなかった。ぼくもとびっきりの拍手を彼らに向かって送った。
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by tzib | 2006-10-30 23:30 | art/design
CAt講演会
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修士設計の合間をぬって建築家フォーラムへ。講師はCAtの小嶋一浩&赤松佳珠子で、タイトルは「10年前からの手紙〜打瀬小学校から美浜打瀬小学校へ」。

10年間学校建築に関わってきた中で、「さまざまな価値観が調整することなく共存している空間」を目指していることに変わりはないが、アクティビティのシュミレーションからフルイド・ダイレクションへと、コンピューターの解析能力とともに建築デザインの手法も向上し、複雑な事象も単純さに置き換えることなく複雑なまま解けるようになった。その最たるものがホーチミン建築大学で、熱帯地方でもエアコンがいらないように風の流れをシュミレーションして配置計画を進めていき、その有機的な形態も風の流れを遮らないように必然的に決まっていったという。

目が覚めるような発言を一言も漏らさないように耳を傾けながら、教育制度とか機能とかプログラムとか、そういう部分からは少し距離をおいたところで修士設計に取り組んでみようと心を新たにする。
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by tzib | 2006-09-19 23:19 | architecture
石上純也講演会
レモン&イソベと品川で待ち合わせ、夕方からTN プローブ・石上純也講演会を聴きに行く。インタビュアーは五十嵐太郎氏。石上氏には個人の実作がひとつもないのだけど、会場には学生や若い世代を中心に500名以上の人が集まったそうで、その様子は彼に向けられている関心の大きさをそのまま物語っていた。

会場の熱気はむんむんで、まるでちょっとしたライブ・ハウスにいるかのようだった。会場内のボルテージは講演の開始時間が近づくにつれどんどん増していき、石上氏が五十嵐氏に連れられて壇上に現れたときには、もはや爆発寸前までに達していた。もしも、石上氏が開口一番、観客席に向かって拳を突き上げていたなら、会場には割れんばかりの怒号が渦巻いたことだと思う。

講演会は、石上氏の修士設計である「光の研究」からはじまった。これは「本当に透明なものとは?」という研究で、ガラスが持つような「透明度」ではなく、「透明性=なにもないこと」を問題にしていて、光の対流が生み出す光と闇の境界により空間を分節化していくという内容だった(詳しくは『卒業設計で考えたこと。そしていま〈2〉』を参照)。その中で驚いたことは、その透明な境界が鑑賞者の位置によって相対的に変化していくということだった。それは、ひとつの建築の中に無数の異なる空間が同時に存在し、ある秩序(構造?)を形成しているということ。つまり、空間が先験的に存在してそこに観測者の視点が設定されるのではなく、観測者の視点があって空間が存在し、しかもそれは観測者の運動の中において発生していくことを意味している。五十嵐氏の「建築の問題提起・前提条件の在り方が近代と異なっている」という指摘は、まさにその通りである。講演会の冒頭から何か透明なトンカチで後頭部をがつーんと激しくぶたれたような衝撃を受ける。

その後は、厚さ3mmの「レストランのテーブル」や、キリンアート2005に出品した「テーブル」、霧を使って建築の中を風景化するというレクサスのインスタレーションや、そこで用いた発砲スチロールの家具、月島の長屋プロジェクト、つくばスタイルコンペ案、TEPCOコンペ案、ホテルの改修計画、神奈川工科大の工房、Yoji YAMAMOTOのNY店の計画案と続いていく。

講演会の中で印象的だったのは、石上氏が「今わかっていることは」というフレーズを頻繁に用いていたことだった。それは、最初にある目標を設定して設計を進めていくという従来のやり方ではなく、他人はもとより本人でもわからないことをひたすら追い求めていくというボトムアップ的なつくり方を暗にほのめかしている、といえるのではないだろうか。その先に、今までの言語では語ることができないような新たな建築の地平が広がっているのかは、よくわからない。ただ、今回の講演会でひとつわかった確かなことは、石上氏は確かにアート寄りに見えなくもない表現を用いているが、決してアートをつくっているのではなく、あくまで建築をつくろうとしているということだった。石上氏の設計態度は、個人の表現ではなく、あくまで社会に向けられた表現であった。言うまでもなく、そこには決定的な差がある。

もうひとつ印象に残ったのは、神奈川工科大の工房のプランの決定方法をめぐる質疑の中で、石上氏が「フラットバーを配置していく中で方向性はある、発見しつつあるが、それはゴールへの方向性ではない。ゴールを設定してそこに向かっていくつくり方ではない。ループを繰り返してその中で何かを磨き上げていく。ループはループに近づけば近づくほどよい。」という発言をした場面だった。思考のループ化。それはいわゆる「どうどう巡り」と言われて通常はネガティブに捉えられるものだが、石上氏はむしろループ化する方がいいと述べている。思考の時間軸が円環状になったときには一体何が起きるのだろうか。円環状の時間を考えるとき、「流れる今」をイメージすることは無意味になる。初期条件を設定し、線形的に発展していく古典論的な手法は、円環状の時間に対しては修正を余儀なくされてしまう。いわゆる近代的なもののつくり方ではないのだ。それはいったいどういうことなのだろうか?また、単なることばの揚げ足取りに過ぎないのだけど、そのループの外側や内側には何が存在するのか?そのループのモーメントはどこに向かって進行しているのか?あるいは、石上氏が「拠って立つ場所」は一体どこなのか?などなど、さまざまなことが頭の中に浮かんでは消えていった。それは講演会が終わってここに文章を書いている現在においても、答えは見つかっていない。
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by tzib | 2006-08-31 23:31 | architecture
南米の都市再生の現場から
夕方から、TN プローブ・サロン「南米の都市再生の現場から 〜手法論の差異と類似」を聴講する。講師はコロンビアの建築家、フェリペ・ロンドーニョ氏と内藤廣氏で、モデレーターは太田浩史氏。内容は、「ロンドーニョ氏によるコロンビアの都市再生手法の紹介。また、氏が関わってきた地域計画を事例に、建築家に求められている多様な領域の横断と積極的な社会参加について考え、日本とコロンビアの都市再生における差異と類似などを明らかにしていく」というもの。

まずは、ロンドーニョ氏によるコロンビアの都市再生手法の説明から。氏は、美しいスライドを用いながら、コロンビアの地理、歴史、人口動態、政治、経済など、都市を取り巻く状況とそこでの再生手法を包括的に、ときには叙情的に、また、コロンビアについて何も知らないぼくのような学生にも理解できるように、ゆっくり、かつ、丁寧に説明してくれた。とくに印象的だったのは、交通と教育政策による都市再生手法の部分で、交通政策手法では、2000年より導入された「トランスミレニオ」というBRT(Bus Rapid Transit)システムやメトロケーブル、自転車専用道「サイクル・パス」の設置へと至るプロセス、教育政策手法では、図書館建設による地域のコミュニティ形成プロセスが、「人々の『多様な領域の横断と積極的な社会参加』によって都市が再生されていく」、という点で大変勉強になった。

内藤氏の講演は、「コロンビア、メディジン市における公園図書館の建設」というテーマで、「東京大学COEプログラムの一環として研究室で取り組んでいるメディジンにおける図書館設計のプロジェクトを紹介し、コミュニティ形成における建築家の役割について」語ってくれた。2つの大通りに挟まれた敷地に「緑・水・まち」という3つの広場を設け、これらをつなげる場としての「公園図書館」をつくり、周辺を巻き込みながら教育を中心に地域コミュニティをつくっていく。四季がなく、外気温度が平均27℃という中での建築と外部環境の在り方。コンクリートブロックというコロンビアでポピュラーな素材を、多様なつかい方ができるように試みていく技術開発の苦労話など、まるで日本とは異なる環境の中での詳細な体験談は、会場を興奮の渦に巻き込んでいった。

後半の3者によるディスカッションは、ロンドーニョ氏の講演を受け、太田氏が「日本における設計行為は、目の前にいる誰かのために行われるが、コロンビアにおける設計行為は、社会の未来に対して希望を提供するために何ができるかということを指すように感じた。コロンビアの建築家は、社会参加に対する強い意志を持っているが、それはそういう教育を受けているためであり、状況への観察・分析力や、ヴィジョンを提示する強い力を持っている。また、社会がそれを求めている」と発言し、内藤氏が「なぜ日本ではそのようにできないか。それは、日本が商業国家になってしまったからだ。現在の日本における建築は、植木鉢に植わっている観葉植物になってしまっている。サロン化している教育制度や建築界という『敷地』から抜け出すべきだ」と発言する場面が印象的だった。



社会参加とは、多様な領域を横断する能力を持ってできる行為なのか、あるいは、多様な領域を横断できるような土壌があってはじめてできる行為なのかはよくわからないが、内藤氏の「『敷地』から抜け出すべきだ」という発言には、何か強く揺さぶられる力があった。ぼくたちのような世代は、というかぼくの場合は、今後の社会の中で、自分の状況を相対化し、「意志」を自発的に養っていくことが、絶対的に必要なのだろう。そうしなければ、もはや立枯れていくという選択肢しか、実質的には残されていないのかもしれない。
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by tzib | 2006-07-27 23:27 | architecture
平田晃久「空のかたち」講演会
夕方から船橋の大久保へ。NS大の授業の一貫で企画された、平田晃久さんの講演会を聴きにいく。レモンと今回の企画に誘ってくれたSくんたちと講堂で合流。開催時間にぎりぎり間に合う。

講演会のテーマは「空のかたち」。まずは、平田さん自身による自己紹介。平田さんは、大学時代、バブル崩壊や阪神大震災、オウム事件など、人々が内面に向かっていくような時代を経験し、ポストモダン→デコン→ライトコンストラクションなどの目まぐるしいようなスタイルの変遷を目の当たりにする。そのような不透明な時代の中で「本質的な何か」に取り組みたいと渇望していた最中、95年の「メディア・テーク・コンペ」の伊東豊雄案に出会う。伊東案の造形的に見えるがそれが主題ではないような建築の鮮やかさに何か新しい可能性を感じ、それが生まれるプロセスを体験したいということから伊東事務所を希望し、入所。そして伊東事務所で8年間を過ごし、現在の独立までに至ったと説明してくれた。

自己紹介のあと、「空のような建築をつくりたい」という発言からレクチャーが開始。「空」とは、自分自身の生成原理をもち、人の活動と無関係に存在している。1:1ではなく何となく関係しているような、あるいは、A'、A''、A'''…というような関係性をもつような空間をつくりたい。「空」=〔sora/ku/kara〕とあるが、建築は、「空」=〔kara〕の状態を目指しているのではないか。ライプニッツの「空間とは同時存在の秩序である」ということばを引用しながら、仁徳天皇陵、ミケランジェロのラウレンツィアーナ図書館、キャベツの断面図、森の断面図などの紹介。「無関係の建築」、「A'、A''、A'''…」、「派生・支配」、「インクルーシブ」、「立体的(対角線的)」、「見通せない拡がり」、「聴覚的」、「動物的」、「同時存在の秩序」というキーワードの紹介。などなど。

建築背後にある理念の説明のあとは、それらをふまえた上で、伊東事務所時代に担当した作品や自作の紹介。平田さんは各作品を紹介しながら、「モノをつくる前にスペースのイメージがある。それを伝えるために、キャベツの断面図などを用いている。そういうような原理はいたるところでつながっている。深層構造を空間化し、ある秩序の在り方を生み出すようなことを模索している」と説明を加え、レクチャーは終了する。

レクチャー終了後、会場には得体のしれないような興奮が満ちあふれていた。いつまでも拍手とざわめきがやむことはない。空調は効いているはずなのに、普段よりも体温が1度高い。微熱のときのような、軽いめまいと脱力感がからだを支配している。だが、頭は今までにないくらいクリアに冷めている。会場の誰もが感じていたように、ぼくも目の前に現れた今まで見たことがない「新しい何か」に心を捕われてしまっていた。今日のレクチャーに関してうまくことばで伝えることはできないが、わずか2時間という時間に目にした情報は、おそらく「時代の切れ目」とでもいうのだろうか、圧倒的なエネルギーを秘めている情報だった。今日ここに居合わせた人間は幸福だった、とは言い過ぎかもしれないが、おそらくそれは、今後時間が証明してくれることだと思う。時代は間違いなく動いている。
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by tzib | 2006-07-05 23:05 | architecture
「美術と建築のあいだ」シンポジウム
午後から「美術と建築のあいだ」シンポジウムを聴きにいく。パネリストは五十嵐太郎、暮沢剛巳、彦坂尚嘉、南泰裕の4氏。

トップバッターは五十嵐太郎氏。五十嵐氏は建築→美術の視点で、<共同>、<造形>、<現象>、<自作>という4つのキーワードをもとにレクチャーを進行。<共同>では、磯崎新と荒川修作、谷口吉生とダニエル・ビュレンなどの関係を論じながら、米田明の『ポストミニマリズムが現代建築に示唆するもの』(建築文化94年4月号)を引き合いに出し、美術と建築の関係を分析。<造形>では、現代美術から造形的な影響を受けたと思われるアルド・ロッシ、ドミニク・ペロー、ゲーリー、コープ・ ヒンメンブラウなどの作品を紹介。<現象>では、<造形>と同じように現象的な部分で影響を受けた作品の紹介。「光と色」では、ジェームズ・タレルと妹島和世「梅林の家」&バラガン、「オプアート的な視覚世界」では、ブリジット・ライリーと青木淳、「視覚的なパビリオン」では、ダン・グレアムと妹島和世「鬼石多目的ホール」。<自作>で、アート的な要素が多い作品を紹介。東京に現存する建築以下・家具以上の建物を紹介したアトリエ・ワン『ペット・アーキテクチャー』、「リムジン屋台」、中村政人の「セキスイハイムM1」など。最後に<異なること>というキーワードで、展覧会、美術館批判、アルマジロ人間の問題などに触れるが、時間切れであえなく終了。

代わって南泰裕氏のレクチャーがはじまる。南氏は、美術と建築という問題をずらし、補助線を引くという意味を込めて「2次元と3次元のあいだ」というタイトルでロシア構成主義の話題を中心にレクチャーを進行。抽象化の行きつく先には何が残るのか、アートが純粋・自律的なのに対し、建築は社会的な産物であり、コントロールできないものを含む存在であり、「還元できない」。絵画を絵画たらしめているのは「フラットネス」だが、建築は「立体的」かといえばそうではないだろう、2次元→3次元は跳躍から落胆だが、リベスキンドやザハは逆転しているなど。最後に越後妻有トリエンナーレの「空家プロジェクト」を美術と建築の交差点と紹介し終了。

レクチャー後に彦坂氏から「建築は実現されたものが本流なのか。それともドローイングや理念や思想がそうなのか?」という質問があり、その質問に対し五十嵐氏は「歴史を語る上ではどちらも重要」と答え、南氏は「コンペなどは実現案の裏に膨大な数の案が埋もれている」と答える場面があった。彦坂氏はそれらの答えを受け、「建築は建たないものを膨大につくっている。美術もそうである。美術史的にいえば、つくればいいということではないのだ。膨大につくられるものなど捨てられていく。そこでいう制作とはいったい何なのか。」と発言。

次は彦坂氏のレクチャー。70年代の初期の作品から、現在までの作品を時系列的に紹介。とくに興味深かったのは、部屋中にラテックスをぶちまけ、その乾くと透明になる特性を活かしながら、部屋が徐々に透明化していく様子を表現した作品。時間の変化と床の二重性が視覚化していてとてもエキサイティングだった。

レクチャー終了後は、三者と暮沢剛巳氏を交えた対談が開かれる。とくに盛り上がったのは、建築家の設計した美術館への問題について。アーティストと建築家という、美術館という空間をつかう側とつくる側の生の意見の交換というのは、非常にリアルで興味深いやり取りだった。その中で、南氏の「使いにくい、ということはつくることではじめてわかることだ。建築家は機能を収めることはできるし、その先で勝負しようとしている。一方ばかり攻めるのはフェアじゃない」という意見があったが、まったくその通りだと思った。対談終了後は、そのまま懇親会へ移行。ワインを飲みながら、幾つか顔見知りの方にあいさつし、学校に戻る。
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by tzib | 2006-06-24 23:24 | architecture
レモン展/内藤廣講演会
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夕方から明治大学アカデミーコモンで開かれた特別講演会を聴講。

講師は内藤廣氏で、テーマは「建築・社会・人間をどう考えるか」。講演の内容は、内藤廣と磯崎新の30年ぶりの対談から飛び出したという「70年代と00年代は重なるのでは?」という仮説に基づいて進行し、内藤が学生時代や所員時代を過ごした70年代と、それらの時代に関わった9人の建築家について解説していき、その中から「建築・社会・人間をどう考えるか」というテーマに対しての、何らかのヒントが浮かび上がればという構成だった。

まずは、内藤自身による70年代の背景と学生時代についての解説から始まる。内藤が早稲田大学に入学した70年代初めは、5月革命に端を発する学生運動がまだ続いていた時代で、大学は完全にロックアウト状態。いたるところにイデオロギーが蔓延し、建築もその延長として捉えられ、とてもではないが建築を学べる状況ではなかったという。また、ベトナム戦争反対運動、安保闘争、安田講堂占拠、三島由紀夫の割腹自殺、大阪万博、ウォーターゲート事件、ロッキード事件、オイルショック(これは最近の原油高に似ている)、環境問題(これも70年代当時から騒がれていた)など時代を揺さぶるような事件が次々に起き、内藤自身もその得体のしれない力に突き動かされるかのように、2ヶ月に1度大学の授業をつぶしては、反建築派?の人物を呼んで「建築に未来はない」「組織事務所は堕落している」「プレハブに価値はない」…など声高らかに「建築の解体」を叫んでいたというエピソードなどが披露された。

その数々の事件の中でも、とくに安田講堂占拠と大阪万博が時代の変曲点だったのでは、と内藤は語る。69年の安田講堂占拠は、アジールである大学に政治力が介入し、大学本来がもつ「自由」の意味が失われてしまった象徴的な事件として、また、70年の大阪万博は、日本が現在の商業国家へと至るまさしく踏み絵に他ならなかった「事件」として非常に重要だったという。これらの発言に関しては、とくにことばを慎重に選んでいたように見受けたし、決して是非を問うようなものでもなかったが、内藤の眼は会場をじっと見据え、ぼくたちがそこから何を捉え、何を考えるのか見定めているかのような印象を受けた。また、この時代のマスターピースとして、『空間へ』や「きみの母を犯し、父を刺せ」などの磯崎新の一連の文章があるが、これらの文章は、今でも、いや今だからこそ読む価値があるのではとも述べていた。

ここから講演会は後半に移り、内藤の70年代に影響を与えた9人の建築家についての解説がはじまる。

1人目は、山口文象について。山口文象は戦前の日本建築史を語る上で非常に重要な人物だが、驚いたのは、実は内藤とは非常に親しい間柄だったという発言だった。というのも、山口は内藤の母の実家のお隣さんで、内藤とは小さい頃から顔見知りだったというのだ。内藤は大学に入学してから山口の名声をはじめて知り、「建築を教えてくれる優しいおじいさん」とのイメージのギャップに驚いたと明かし、「ぼくは人間関係に恵まれている」と自嘲気味に語っていた。山口はマルクス主義に傾倒していた建築家で、当時の社会に対してひどく憤慨し、建築家批判をよく繰り返していたらしい。それを端的に表しているのが「前衛建築家の宙返り」という文章で、時代の流れに合わせてスタイルの転向を繰り返す建築家に信念があるのか?このままだと建築は時代に必要とされなくなり信用されなくなると、半ば自省を込めながら、そこで山口は痛切に語っているという。内藤は当時を振り返りながら、山口に言われた印象深い言葉を会場に向けて語りかける。「若いときには自分の核になるような信念を見つけろ。それはどうすれば見つかるのか?絵画、彫刻、音楽、本、とにかく何かを信じるしかない。そしてそこで重要なのは、それを徹底的につかみ、勉強し、徹底的に破壊することだ。あとはとにかく真剣に『遊べ』。大学で教わるのは建築の5%でしかない。その他は社会から学ぶしかない。大学は動機づけしかしてくれないのだ。また、『遊ぶ』といっても道楽をすることではない。『遊ぶ』とは芸術・思想・哲学の最高のものに触れて精神そのものを鍛えることだ。間違っても建築の本など読んではいけない。」

2人目は鈴木恂について。鈴木恂は、GAギャラリーの設計者といえば、建築学科の学生にはなじみ深い建築家だ。鈴木とは、学生時代に鈴木の事務所でバイトをしていた経緯で親しい間柄になったという。日本におけるコンクリート打ち放しの表現は、実は鈴木が最初で、安藤忠雄は鈴木を超えようとして今がある。また、鈴木の最高傑作の一つは「SIH」であると述べていた。

3人目は、吉阪隆正(吉阪隆正については、以前書いた5/22のブログを参考)。吉阪は内藤が20代に出会った最大の人で、大学時代の指導教授でもあった。吉阪は、建築や都市を考えるときに、まず「人」から考える建築家で、礼儀に厳しく個性を尊重し、そこにいるだけでその場の雰囲気を変えてしまうような、圧倒的な存在感の持ち主だったという。また、コスモポリタンな人物でもあり、人と人とのコミュニケーションは、カタチを媒介にすれば可能なのでは?と考えていたらしい。内藤は吉阪とのエピソードを語りながら、「ことば」に関して吉阪が述べたセリフを語る。「若者も自分で考え、自分のことばで書くようにしろ。何を言っても構わないが、言い放ったらそのことばには責任を取れ。」

4人目は、渡邊洋司。渡邊は吉阪研に所属し、吉阪の信奉者であり、ズバ抜けた造形力を持った建築家であったと内藤は解説する。内藤は1度、渡邊の寝室に上がらせてもらった機会があり、そこに飾ってあったヨロイとヤリを説明しながら渡邊が語ったセリフが、そのまま彼自身を顕著に表していることばだと述べる。「これがどういうことかわかるか?君たちは『文』としての建築を学んでいる。実は、建築には『武』としての力もあるのだ。」内藤は最後に、「アメリカの大学の研究費の30%は軍事関係の研究であることを、みなさんには考えてほしい」と結んだ。

5人目は、西沢文隆。西沢は「住吉の長屋」を一番最初に評価した人物だったという。内藤が独立するとき、西沢に言われた忠告が今でも忘れられないと語る。「建築には力を入れれば入れるほどいい。あらゆる人的力を導入し、全力を注ぎ込め。食えるところギリギリでやっていないと、それはウソだ。」

6人目は、高橋てい一。高橋はものづくりの人で、磯崎新に代表されるような形而上学的な時代の中、あくまで形而下の人であり、「大阪芸術大学塚本英世記念館/芸術情報センター」は、70年代を代表する傑作のひとつだったと、内藤は評価する。

7人目は、宮脇壇。宮脇は住宅作家として知られている建築家。内藤は、宮脇のユニークな人柄を語りながら、こう分析する。「宮脇は住宅は食が中心にあり、食卓こそ住宅のすべてであると考えていた節がある。そのキャラクターに反して、彼ほど住宅をシリアスに捉えていた建築家はいなかったのではないか。」

8人目は、フェルナンド・イゲーラス。所員時代のエピソードを語りながら、内藤はイゲーラスをある種の天才だったと評価する。イゲーラスは、A4の紙の中に原寸図面が書けるのではないかと思えるかのような、圧倒的な情報量を書き込めるという才能を持ち、すさまじい直感力に溢れ、我々凡人が日々努力を積み重ねていっても、決してたどり着くことができない「先」に軽々と手を伸ばすことができた。だが、それ故なのか、「政治力」にはまるで乏しく、建築家としては失敗してしまった人物だったという。

最後の9人目は、菊竹清訓。事務所での所員時代には、菊竹からは既成の枠組みを排除すること、また、ひとりで考えていることは、小さいことであるということを教わったという。

9人すべての建築家について語り終えたあと、内藤は最後に会場に向かって静かに語りかけ、満場の拍手の中講演会は終了する。「自分は凡庸な学生だったし、スターになりたいとは決して思わなかった。大事なことは、流行を追いかけたり、かっこいい模型や図面を書いたり、器用にカタチをつくることではない。卒制を見ていればわかるが、そんなものはすぐに消えてしまう。表現とは、何かを本質的に考え、向き合うことから始まる。現在は、70年代と同じように文化的停滞の時代でテーマが見つけ難い時代だが、停滞を抜け出すべく信念や思想を持ってすれば、それは容易に可能である。」
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by tzib | 2006-05-30 23:30 | architecture
アスプルンド展/東京タワー
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午後から汐留ミュージアムへ。グンナール・アスプルンド展の鑑賞と、そのシンポジウムを聴きに行く。シンポジウムは「アスプルンドの意味するもの」というテーマで、桐原武志氏の司会進行をもとに、内藤廣、吉村行雄、川島洋一の三氏が講演とディスカッションを行う構成だった。会場はほぼ満席で、聴講者の年齢層はかなり高め。

講演のトップバッターは吉村氏。講演のタイトルは「写真が解き明かすアスプルンドの魅力」で、北欧特有の斜めの光に映し出されるアスプルンドの建築を、建築写真家の立場から丁寧に説明していた。

アスプルンド建築には、直接・間接光のバランスや陰影へのバランスの鋭さなど、シャープで繊細な表情が特徴として挙げられ、デザインは合理的でありながらも情緒的な側面が強く、それがやわらかさなどを生み出す心理的要因につながっているという。また、「3°〜8°」(ヴォリューム間のずれ)、「◯&□」(2つの幾何学)、「Detail Parts」(つくり込まれたディテール)、「不揃いの…」(非対称性)、「意外性」(おどろき、ユーモアトリック)というキーワードをもとに、各作品群を美しい写真を用いながら説明していた。

川島氏の講演タイトルは「未完の物語」で、建築史家の立場からのアスプルンド論。

アスプルンドの面白さは、ナショナル・ロマンティシズムとモダニズムを股にかけた二面性にある。モダニズムは、そのデザインがしばしば「機械」に例えられるように、合理的で即物的な側面が非常に強く、「死」などの精神的なテーマがデザインの問題として語られることは少ない。だが、アスプルンドはその半生を墓地の設計に費やしたように、「生の中の死」、「メメント・モリ」、また、「建築で人生を表現できるか?」ということに真っ正面から取り組んだ数少ない建築家で、合理的でありながらも北欧の自然や歴史に根ざしたデザインを用いている。その彼の本質を端的に表しているのが、「森の墓地」内の広場にあるオベリスクに刻まれた、「今日はあなた、明日は私」という碑文や、敷地内を貫く400メートルの石畳である。人間は死すべき存在であるというメッセージ。人々は長い道を歩いていく間に故人を受け入れ、自分も刻々と死に向かって進んでいることを直感的に悟らせる空間体感。アスプルンドの死生観は、キリスト教のそれではなく、そもそも無神論者であり、自然を聖なるものと考える「ピュハ・ティラ」というスウェーデン文化に基づいている。森から生まれ、森へと帰っていく。深い森へと続く400メートルの長い道のりは、鎮魂の道のりでもあり、回帰、そして再生への道のりでもある。

また、同時代のコルビジェなどが多くのことばを使って建築を表現していたのに対し、アスプルンドは著作などをほとんど残さなかったことも強調していた。アスプルンドは、あくまで室内体験という建築独自の可能性を追求した建築家であったのだ。

アスプルンド建築のシンプルさは、ギリシャ神殿などの古典的な建築をデフォルメしたものであり、歴史を否定するのではなく、あくまで肯定しながら向き合い、時代やその風土に即すように変化させていった結果の姿であるという。川島氏はその様子を個体発生の度に系統発生を繰り返す反復説のようだと評し、アスプルンドの建築は「遺伝子建築」であると結んで講演は終わった。

内藤氏の講演テーマは「物質が精神を宿すとき」。ものをつくる建築家の視点からの講演だった。講演は「森の墓地」の大ファンであるという内藤氏の告白から始まった。

今の建築には精神性がなく、商業国家としての日本では「死の概念」(時間概念)が意図的に排除されている。「森の墓地」に魅力を感じるのは、日本の社会が失い続けたモノを持っているからである。商業国家としての精神性がいちばん表現されている建築は「六本木ヒルズ」で、現代の困難さは「神なき時代の精神性をどこに求めるか?」ということであり、神がいた時代に神が果たしてきた役割をどう果たすのか、また、我々が生と死と向き合うときにどうモノをつくるのかということである。

また、スウェーデン特有の墓誌墓標のない匿名性の共同墓地「ミンネスルンド」と日本の墓地制度を比較し、スウェーデンは人間の死生観と制度が結びついているのに対し、現在の日本ではそれが断絶関係にあると述べていた。人間が最後に物質へと還元していく場所/空間が現状のままでいいのか。そもそも人間の尊厳とは何なのか。ないがしろにされたままでいいのか。グローバリゼーションは人間の尊厳を保障などしない。今ここで我々がなすべきことは、個人と世界の関係性を取り戻すことではないのか。内にこみ上げる猛りを押さえるように、冷静に言葉を運んでいる様子がとても印象的だった。

ディスカッションは意見がぶつかるというようなことはなく、各講師それぞれのアスプルンドへの想いをとつとつと語るような内容だった。

吉村氏はアスプルンド建築の視覚だけではなく五感に訴えてくる居心地の良さを繰り返し発言し、それはことばでは説明できないものであり、写真でもそれを伝えることはできないのかもしれないと述べていたのが興味深かった。そこにアスプルンドのすごさがある。建築写真家が言うと実に説得力があることばだった。また、それにはディテールのつくり込みも関連しているかもしれないとも述べていた。

川島氏は、モダニストたちが「かたち」をつくることが目的になっていたのに対し、アスプルンドはそれとの距離感をはかりながら、最終的にモダニズム的な造形に至っている。もしかしたら、アスプルンドこそ真のモダニストだったのではと指摘していた。

内藤氏は、日本語には豪雨、時雨、霧雨など「雨」にまつわるたくさんのことばがあるように、日本人は本来、場所に対してのセンシティブな感覚を持っていたはず。スウェーデンは厳しい自然で、それと向きざるを得ないからあのような建築がでてきた。日本は豊かな自然に恵まれているのだし、それを我々の身体に合うようにデザインしていくことは十分に可能なはずである。現代の建築設計に携わるものは、大いに反省すべきだと述べていた。

講演は満場の拍手で幕を閉じ、その後、シンポジウムの言葉を反芻するように展覧会を鑑賞する。頭の中では、内藤氏の「グローバリゼーションは人間の尊厳を保障しない」ということばがやけにこびりついて離れないでいた。意味のない思考かもしれないが、アスプルンドが現代の日本に墓地を設計するならどのような場所/空間をつくるのだろう。都市における墓地。修士設計で取り組んでみるのもおもしろいかもしれない。

観賞後は夕飯を食べ、最近何かと話題にのぼる東京タワーへ。シティライトをじっくり堪能する。この美しさも、やはりことばでは説明できないものだと思った。
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by tzib | 2006-03-18 23:18 | architecture
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